2021/12/10

「sanwacompany Design Award 2021」2つとも「入賞を逃す」

 残念でした。2作品とも入賞できませんでした。

ブログのタイトルで「入賞を逃す」と書いたのは、単に「落ちた」なのですが、通知メールに「惜しくも入賞を逃されてしまいしたことをご連絡・・」と書いていただいていたのでそう書いてみました。文字通り「惜しくも」と言う話ではないと思います。

次、頑張ります。

応募作品は2021年11月1日の投稿に2つともあります。参考まで。

2021/11/30

eVolo 2022 Skyscraper Competition (概要翻訳)

 Registration - 2022 Skyscraper Competition -eVolo | Architecture (←クリック)

意訳です。詳細はサイトで確認してください。


eVolo Magazineは、世界中の建築家、学生、エンジニア、デザイナー、アーティストを対象に、2022年の「スカイスクレイパー・コンペティション」への参加を呼びかけます。2006年に創設された「スカイスクレイパー・コンペティション」は、超高層建築を対象とした世界で最も権威ある賞の一つです。斬新な技術の提供、材料、プログラム、美学、及びグローバル化、柔軟性、適応性、デジタル革命による空間構成によって超高層ビルのデザインを再定義するものが評価されます。超高層ビルと自然界、超高層ビルと地域社会、超高層ビルと都市の関係を検証するフォーラムです。

参加者は以下の点に関して考慮しなければなりません。テクノロジーの進歩、持続可能なシステムの探求、現代の都市が抱える経済的、社会的、文化的な問題を解決するための、新しい都市・建築手法の確立。これは、天然資源やインフラの不足、人口の急増、公害、経済の分断、無計画な都市の拡大を指します。

このコンペティションは、ダイナミックで適応力のある垂直のコミュニティを創造する上で、パブリックスペースとプライベートスペース、そして個人と集団の役割についての研究です。 これは、人間と自然の間のダイナミックな平衡に基づく、新たな生活圏やテリトリーの探求と適応への応答でもあります。我々自身のシステムを自己調整することで知的に成長することができる、応答し適応する新しいデザインの方法論です。

場所、プログラム、サイズなどの制限はありません。その目的は、参加者に最大限の自由を与え、制約のない、最も創造的な方法でプロジェクトに取り組んでもらうことです。21世紀の超高層ビルとは何でしょうか?この巨大構造物の歴史的、文脈的、社会的、都市的、環境的な責任とは何でしょうか?

eVoloマガジンは、世界中のデザイナーの想像力を刺激し続けることを目指します。彼らは経済的、環境的、知的、知覚的な責任のある、新しい建築的言説をリードする思想家たちであり、現代の超高層ビルとして私たちが理解するものを変え、都市計画や私たちの生活様式の改善に影響を与えるものでありましょう。


REGISTRATION

建築家、学生、エンジニア、デザイナーの方々のご参加をお待ちしております。学際的(多彩)なチームの参加をお勧めします。

参加者は2022年1月25日までに登録の事。

2021年11月16日までは早期登録で参加費USD95。

2022年1月25日までは後期登録で参加費USD135。

1登録=1プロジェクト。

複数プロジェクトで参加可能。各エントリー毎に個別登録。

1チームの参加人数に制限なし。個人での応募も可能。

登録が承認後にeVoloから登録番号が送信される。(24時間以内)

登録番号は投稿ボードに記載する。


SCHEDULE

2021年8月6日 コンペ発表・登録開始

2021年11月16日 - 早期登録締切

2022年1月25日 - 後期登録締切

2022年2月8日 - プロジェクト提出期限(米国東部時間23時59分)

2022年4月26日 - 受賞者の発表


SUBMISSION REQUIREMENTS

本コンテストは、デジタルコンペティションであり、ハードコピーは不要。2022年2月8日(米国東部時間23時59分)までに、電子メールで skyscraper2022(あっと)evolo.us まで企画書を提出する事。


下記の内容を提出ファイルに含める事。

1. 図面、断面図、パースなどのプロジェクト情報が記載されたボード2枚。

提案を説明するために必要と思われるすべての情報を含めてください。

ボードのサイズは24″(h)×48″(w)で、横フォーマット。

ボードの解像度は、150dpi、RGBモードで、JPGファイル。

各ボードの右上には、参加番号を記入する。

個人が特定できないようにしてください。

ファイル名は、登録番号の後にボード番号を付ける。

例:0101-1.jpg、0101-2.jpg


2. プロジェクトのステートメントを含むDOCファイル(600語以内)。

ファイル名は、登録番号の後に "statement "という単語を付けてください。

例:0101-statement.doc.


3. 応募者の氏名、職業、住所、電子メールなどの個人情報を含むDOCファイル。

ファイルの名前は、登録番号の後に「info」という単語を付けてください。

例:0101-info.doc.


4. すべてのファイルは、登録番号を冠したZIPフォルダーに入れる。

例:0101.zip


ファイルのサイズが20MBを超える場合は、wetransferやGoogle Driveなどのファイル共有サービスを利用して、skyscraper2021(あっと)evolo.us宛に提出する。


JURY

Volkan Alkanoglu [Principal, VA | DESIGN]

Gianni Botsford [Principal, Gianni Botsford Architects]

Steven Chilton [Principal, SCA | Steven Chilton Architects]

Tsvetelina Georgieva [Principal, DesignMorphine]

Nuru Karim [Principal, Nudes]

Arthur Mamou-Mani [Principal, Mamou-Mani Architects]

Moon Hoon [Principal, Moon Hoon Architects]


REGULATIONS

コンペティションは匿名で行われ、登録番号が唯一の識別手段となる。

コンテストの公式言語は英語。

登録料の払い戻しはできません。

審査員への連絡は禁止されています。

eVolo Magazineは、コンペティションの主催者として、必要と判断された場合、コンペティションのスケジュールを変更する権利を有します。

参加者は、自分のデザインのすべての著作権を保持します。

eVolo Magazineは、コンペティションに提出されたすべてのプロジェクトを印刷およびデジタル出版物に掲載する許可を与えられます。

応募者がコンペティションの規則のいずれかでも考慮しない場合は失格となります。

参加することで、規則に同意したものとみなされます。


AWARDS

1st place – $5000 USD

2nd place – $2000 USD

3rd place – $1000 USD

受賞者、佳作、入選作品は、2022年発売予定の書籍『EVOLO SKYSCRAPERS 4』に掲載されます。


受賞者および特別賞は、eVoloと、近日発売予定の書籍『EVOLO SKYSCRAPERS 4』を含む複数の国際的な印刷出版物に掲載されます。さらに、この結果は、最も重要なオンラインの建築・デザイン関連の出版物や、The Huffington PostやThe Wall Street Journalなどの一般メディアにも掲載されます。

これまでの受賞者は、以下の紙媒体で紹介されています。

(省略)


FAQ

誰が大会に参加できますか?

世界各国の学生やプロフェッショナルなど、どなたでもご参加いただけます。


複数の作品を応募できますか?

はい。ただし、各プロジェクトは個別に登録する必要があります。


プリントしたボードの提出は可能ですか?

本コンペティションはデジタルコンペティションであり、すべての応募作品はコンペティション概要に記載されたデジタルフォーマットでなければなりません。


摩天楼の高さに制限はありますか?

特定の高さの要件はありません。


プログラムに指定はありますか?

ありません。参加者は、自分のプログラム、場所、コンセプトを完全に自由に設定することができます。







2021/11/23

Impact Tiny House Competition (概要翻訳)

 Impact The Tiny House Competition (←クリック)

サイトでなくコンペのBriefの方を要約します。意訳です。詳細はサイトで確認してください。


Introduction

家」とは、誰にとっても親しみのある空間です。私たちの安全な避難所であるだけでなく、家は、使う人やその活動のためのシェルターという日常的な機能を超えて感情的、個人的なレベルで私たち一人一人とつながっています。

時代ともに、「家」の定義も変化し続けています。

21世紀には、AirBnB、Co-Living、Smart Homes、Tiny Homesなどのコンセプトが若い世代から年配の世代まで人気を博し、世界中でムーブメントを巻き起こしました。

私たちの小さな家は、テクノロジーの急速な進歩、効率的な空間の出現、環境や経済的な懸念、そして住む人のニーズや欲求の高まりによって、変化を目の当たりにしてきました。

今日の住宅は、オフィス、遊び場、そして - オフィス、プレイエリア、ワークアウトゾーン 今日の住宅は、オフィス、遊び場、ワークアウトゾーン、交流やレクリエーションのための空間、さらには毛皮のような友人たちの住まいとして、彼らのニーズに応えることもできる多目的な存在となっています。

What is a Tiny House?
タイニーハウスは、小さなスケールの住戸です。
タイニーハウスに住むということは、小さいながらも巧妙に設計された空間で、革新的な技術とユニークなデザインの特徴を生かした生活をするという、ユーザーの意識的な選択です。
タイニーハウスは、理想的には50平方メートル以下の高品質で機能的な住宅です。機能性を備えています。また、移動が可能で、オフグリッドにも対応しています。タイニーハウスは 一般的には一戸建ての住宅として使用されます。

Tiny House Movement
タイニーハウス・ムーブメントは、アメリカで生まれた概念で、適度なもので満足し、必要なもの、重要なものに集中するという思想に基づいています。このムーブメントは、世界中で人気を得ています。健康的で環境に優しく、ユーザーの個性に合った体験や生活環境を作ることを推進しています。

Opportunity
家の概念は、様々な地理的、地形的、空間的制約によって変化します。しかし、核となるのは「家」であり、そのデザインは作り手と使い手の個性、創造性、イデオロギーの表現である。 この新しい時代、私たちは、環境問題や経済的な問題に悩まされる中でもっと自由になりたいという願望から、シンプルで効率的な生活を求めています。
この2年間、世界の人口の大半は、生き延びるために家に引きこもり、より資源の豊富な生活手段を取り入れてきました。このシナリオは、デザイナーにとって「家」の概念を再定義するまたとない機会となりました。ユーザーがよりシンプルで効率的な生活方法を求める傾向にあることと、技術や素材の急速な発展が相まって、多目的で革新的なパーソナルスペースを創造する大きなチャンスが生まれました。タイニーハウス・ムーブメントは、シンプルでありながら資源に恵まれた生活というコンセプトを志向しています。最小の設置面積で最大の使用可能スペースを確保するという革新的な方法で、持続可能性を再考するように設計されています。Less House More Home

Challenge
参加者は、快適な生活を送ることができる2人用のタイニーハウスをデザインします。

家のデザインとコンセプトは、革新的で創造的かつ持続可能なものでなければなりません。
家の内部と外部の環境との関係を考慮する必要があります。提案されたソリューションは、強力なコンセプトに基づいていなければなりません。

住宅の面積は、250平方フィート(23.22㎡)を超えてはなりません。

※以下サイトFAQより
面積の定義は壁柱等含む総床面積。
一時的又は歩行不可能な空洞、ダクト、テラス、バルコニー、折りたたみ式デッキ、ポーチ、トレリス、収納ロフト、空に向かって開かれたスペースなどは含まない。
建物の高さ制限は5m。

適応性 すべてのデザインにとって重要な要素です。
家は、常に変化するユーザーのニーズや 置かれている場所の状況に対応しなければなりません。

設計されたソリューションは、サイトに限らない汎用性のあるモジュールとして設計されたり、モバイル化されたりする場合もあります。その場合、参加者はその正当性を説明する必要があります。

内部空間には以下のものが必要です。リビングエリア|スリーピングエリア 2人分のスペース|調理・食事スペース|トイレ|ワークスペース|その他、参加者が希望するもの。

クライアントとの対話は、デザインソリューションの重要な要素の1つです。このコンペティションでは、参加者はクライアントを 今回のコンペでは、デザインコンセプトに基づいて、クライアントを2人の個人、カップル、またはあるジャンルの人々と想定することができます。デザインされた空間は、それらのユーザーに基づいていなければなりません。

Site 
参加者は、自分のデザイン案に関して、自由にサイトを選択することができます。場所は世界中どこでもよく、都市部でも農村部でも 都市部でも農村部でも構いません。

その場所に応じて、デザインがその場のコンテクストとうまく融合するように します。選ばれた場所は、デザイン提案を強く正当化するものでなければなりません。

Calendar & Registration Fees
Regular Registration ~03rd December 2021 $ 90 USD+18% Tax
Late Registration ~17th December 2021 $ 110 USD+18% Tax
Queries Deadline ~15th December 2021
Submission Deadline ~18th December 2021
Annoucement of Winners 18th February 2022

Prizes (USD)
1st-5000, 2nd-2500, 3rd-1500, Special Mention-500(x2)

Publication
受賞したすべてのデザイン案は、さまざまな国際的建築出版物やインパクト・コンペ・ブログに掲載されます。

Certificates
受賞提案には賞状、参加者には参加証が授与される。

Registration Process
大会登録は、完全なオンラインプロセスです。その手順は以下の通り。

参加者は、https:// impactcompetitions.net にアクセスし、サインアップして自分のチームを登録します。

参加者は、登録フォームにチームの各メンバーの必要事項を記入します。

登録が完了したら、当社の支払ゲートウェイを使って支払いを完了させてください。

支払いが完了すると、参加者のEメールIDにUnique Identification Number(UIC)が送られてきます。チームUICのドキュメントは、ダッシュボードからダウンロードすることもできます。

注意。
個人登録の場合は、チームリーダーの必要事項を入力するだけです。
期日までに登録手続きを完了していただくようお願いいたします。

Judging Criteria
インパクトコンペティションでは、著名で定評のある建築家を審査員として選出します。審査員は、最も創造性に富んだデザイン案を 以下の基準で評価します。

▲参加者が選んだクライアントに対するデザインの革新性と独創性
▲デザイン提案のために選択されたサイトとそのコンテキストへの対応。サイトへの正当性は、評価において重要な役割を果たします。
▲全体的な機能性と空間デザイン。
▲必要なスペースの割り当てとその構成。
▲クライアントの肉体的、精神的なニーズに対するデザインの対応性 。

Submission Process
Dashboard Processの場合
応募を開始するには、参加者は自分のImpactのコンペ・アカウントにログインする。

自分のアカウントのダッシュボードで、A1シート(例:(841 x 594 mm)/(33.1 x 23.4インチ))をアップロードする。

ファイルはJPEG形式で、解像度は150dpi以内とします。

ファイル名には、各チームの固有識別コード(UID)を使用してください。

ファイルのアップロードが完了すると、ダッシュボードと電子メールに確認のメッセージが表示されます。

Emailの場合
デザイン提案書をEメールでお送りください。
submitthetinyhousecompetition(あっと)gmail.com

注意
締め切りまでに提出してください。

Content on Sheet

建物の断面図、平面図、立面図、3次元図、アイソメトリック図、アクソメトリック図など。図、アイソメトリック図、アクソノメトリック図など。提案に最も適したプレゼンテーションスタイルとし表現方法は自由です。

デザインを支えるコンセプト、アイデア、テキスト。

アイデアを支える画像やイラスト とデザイン案

プロジェクトの実現可能性を理解するために必要な単位や要件

Submission Format and Content
デザイン提案シート上部の右隅にUID記載されていなければなりません。

テキストは英語で、200ワード以内。読みやすい大きさのフォントを使用してください。

シートには、参加者の身元が明らかになるような情報を表示してはいけません(名前、学校、会社など)。

これ以外の方法での応募は受け付けられません。


FAQ(Q/Aフォーマットを意訳)
UIDの受け取りはサイトから登録で得られる。
UIDは提出シートに記入。UIDが唯一の提出者特定用IDとなる。
チームのメンバー数は3人まで。
登録後のメンバーの追加は認めるが交代は不許可。
参加資格は不問(学生、プロ可)
JPEGフォーマットのシートのみで提出。
提出可能な最大サイズは5MB。
シートサイズはA1。
指定方法での参加費支払が不可能の場合はメールで問い合わせ。
全参加者は参加証を受け取る事ができる。

Rules 
提出期限は2021年12月18日午後11時59分(IST)です。
この期限を過ぎて送信された投稿は考慮されません。

参加者は締め切りを厳守しなければなりません。

参加者は、登録と投稿に関するすべての規則を遵守しなければなりません。

参加できる年齢は18歳以上です。

参加者は、建築家、インテリアデザイナー、学生、フリーランサー、デザイナーなどとします。参加者やチームが建築のバックグラウンドを持っていることは必須ではありません。

1回の登録で提出できるデザイン案は1つです。

追加登録料を支払うことで、複数のデザイン案を提出することができます。

参加者は、いかなる形であれ、審査員に接触することはできません。そのような行為は失格になります。

審査員の決定は最終的なものであり、議論の余地はありません。

審査員と個人的または仕事上の関係がある方は、参加できません。

参加者は、最終受賞者の発表前に、自分のプロジェクトをどこかで発表したり、公開したりすることはできません。

参加者は、本コンテストに登録することによりコンテストの規約に完全に同意したものとします。

主催者は、改良や変更のために競技会の日程を変更する完全な権利を有する。その場合、参加者は このような場合、参加者にはEメールまたは他のメディアチャンネルで通知されます。

デザイン提案の際のコミュニケーション言語は英語とします。それ以外の言語は認められず、チームの失格につながります。

参加者は、主催者に提供したデータについて責任を負います。登録手続き中に真のデータを提供することは、参加者の責任です。また、第三者の知的財産権を侵害してはなりません。

参加者は提出した作品に責任を持ち、第三者の知的財産権を侵害してはなりません。

主催者は、参加者の身元を確認する権利を有し、さらに身元証明を求めることができる。

コンペの結果発表はカレンダー通りとし、それ以上の変更があった場合は、電子メールで参加者に通知します。

受賞者の発表後、主催者は賞金の処理のために受賞者の身分証明書の提出を求めます。


Ideation Sheet
アイデアシートは、キーワードや参考文献を照合したものです。

参加者はこれを参考にすることができます。デザインプロセスを開始するための参考資料となります。








2021/11/22

暗く、小魚とともに過ごすだけの空間

建築の作品や提案を見ていると、作品そのものに加えてそれを作成した人が健康で健全なのだと感じるものが多い。そして良い作品に対する評価に気持ち良い空間と言う事も多い。陰と陽があるとすれば、世に出てきて評価される作品はほとんどが「陽」の側にあるように見える。中には「陰」を扱っているものもあるが、陽の側にいる人が陰を陽に引き上げる方法としてのものだったりする。

雑誌やネットに掲載される広告の写真の中に人の多くが前歯を見せて笑っている。その感じに似ている。見た目にもネガティブに感じられるもの、そんなものは作られなくて当然なのかもしれない。しかしながら、現実の世界には孤独な人、世の中や社会に馴染めない人は多い。馴染めて普通に生きているように見えても心の中で違和感を感じている人も多い。

 

「大勢に囲まれてるのに……すごく寂しい」、解消法は 5万5000人を調査 (BBC)

'I'm surrounded by people - but I feel so lonely' (BBC)


そうした状況はネガティブで改善されなければならないと言うのは普通の思考かもしれない。そんな状態の中に長くとどまる事で健康を害し寿命を縮めてしまうとの報告も目にする。

逆に孤独のようなものから感じられる寂しさやネガティブな感情は自分の心の中にだけある幻想であってそれは事実ではないと言う人もいる。その場合には気持ちの持ち様を指導される。つまり修行のような事だ。それとてネガティブな感情を持つ事を否定する側からの発言だろう。修行を終えて超越してしまったか悟ってしまった側からのアドバイスだ。


心が強い人は「孤独は妄想」と知っている (東洋経済オンライン)


ともかく、何かサジェスチョンしようとか提案すると言う行為はどうしても陽の側に偏る。世の中がポジティブなものを志向している限りにおいて、これは仕方ないのかもしれない。

ただ、本当にその提案で救われる事があるのだろうか?もちろんその答えは有るになるだろう。ただ、次から次へと出てくるネガティブな感情に対して追い付く事は無いのかもしれない。


美術と言う分野では、それは特に作家個人の思いや感情を載せてかまわないし、それが良いとされる。ネガティブ?、大歓迎だよ、と言う事になっているように見える。肯定され有難がられてすらいる。音楽?、もちろん大歓迎だろう。悲しくて悲しくてどうにもならず、何の解決策も無くエンディングを迎える歌は山ほどある。小説にもある。悲嘆に暮れて終わる作品や、嘆くだけ嘆いて終わり、一体何で作者のそんな感情に最後まで付き合わされなければならないのか!と言う作品がある。


昔、インドネシアに住んだ時に、その地域出身ではないがそこに住み続けている人の家にお邪魔した。その地域出身でないと言う事で目立たないように暮らしていた。言われなければそこにその人たちが住んでいる事さえわからなかった。

その人の家に招かれて石造りの狭い入口のドアを入ると、暗かった。真っ暗と言って良いほどに暗かった。その先に何があるのかがわからなかった。光が一つも無かったので目が慣れる事も困難だった。ドアを開けた事によって射し込んだ細い光が床にぼんやりと反射して床の状態だけはわかるようになった。床には片足を載せられるだけの大きさの飛び石が2つほど置かれていた。飛び石の下にはなんと、水が張られていた。よく見ると小さな魚が泳いでいる。

飛び石の先の部屋に案内されたが何も見えない。どうも小部屋のようだ。主人が小さな灯りを点けてくれたので確かに小部屋だと確認できた。家には他にも部屋はありそうだったが結局何も見えなかった。貧乏で電気が来ていないのではない。静かな人柄だったけれども修行僧のような生活を志向しているのでもないらしかった。普通の人だ。今となってはその家のインパクトが強すぎたせいか、そこで何を話したのかが思い出せない。

明るくなく、本を読んだり食事をするにも不自由でただ暗く狭い部屋。であるから見事とも気持ち良いとも言えないそんな部屋で彼はずっと過ごしていたのだった。小さな魚とともに。あの家は少し極端な例だったけれども、インドネシアの事をいくらか知っている人であれば心にわだかまるドヨドヨとした感情の存在、神が存在しても積極的に介入して解決してはくれないその状況、そして普通にそれとともに生きる人たちがいる事はわかってもらえるだろうと想像する。


もちろん気持ち良い空間を否定するものではないが、その反対のネガティブを許すものの存在。そは実際には必要なものなのではないかと感じている。それは解決策としてそこにあるのではなくて、ただそうした事の存在を肯定するためだけにあると言う意味で。

次世代店舗アイデアコンテスト2021 一次審査通過せず

「次世代店舗アイデアコンテスト2021」は一次審査を通過できなかったと思われます。

11月初旬に通過者にはメールで通知との事でしたが、メールが来ませんでした。残念ですが仕方ないでしょう。今回は店舗と言うよりもその部分的な提案だったので弱かったはず。他の方々がどんな提案をされたかを見てもっと勉強します。

プライバシーポリシーを追加しました

 プライバシーポリシーのページを作成しました。


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右のTeam OBASUロゴの上にリンクがあります。


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2021/11/17

Darak Matter priority

 世の中には多くの人がいて、その多くの人々の大半がどこかに所属している。学校でも会社でもその他の組織やそして家庭に。あたかもそこに適合しているかのように所属していてまるで世界はそうした関係で埋め尽くされているかのようだ。

けれども実際には完全に埋め尽くされているわけではなくて、隙間が多い。完璧に埋め尽くされていると思っているのなら単に隙間の部分を見ないふりをしているだけだ。実際の世界は思うより隙間だらけでスカスカなのじゃないだろうか?

スカスカにしない方法は「割る」だ。四角い家を間取りと言う道具で割る。割れば隙間はできない。上手く割るために人は考える。その際に割られた方の都合は考える必要はない。なぜなら割る方が所有者だから。しかしながら人は自分の都合によってそこを立ち去るだろう。残された割られた者達を集めて聞いてみる。君たちは本当にそれで良かったのかと。

誰も声を出して答えはしない。なぜなら、割られる方には選択肢が無かったからだ。


充実した人生を送っていると思える人は何かに適合できているだろう。中には適合できないでいる者もいる。数百人いる会社に適合して仕事をしていればそれは誇らしいと感じる者もいる。数十人や数人の組織やグループでもそうだろう。中にはたった2人、つまり自分以外にもう1人であってもダメな者もいる。そうした場合、どこか狭い隙間にいるしかない。孤独な者どうし集まれば良いじゃないか、と言うのは通用しない。それが孤独と言うものだから。

建築ではよく隙間を使って何かをするような提案がある。学生の作品に多い。とは言え、実現の可能性は低いと思われるが。通常、隙間として捉えられる場所は組織化されていない。(提案にあるものは道と言う扱いであるものが多いのでその意味では既に組織化されていて観世なフリーではない。それが実現不可能な理由だ。) 組織化されていない場所を公にプログラムの一部に組み込んで組織化する、または組織化のグレードを上げると言うのは、それなりのメリットがあればそれはそれで肯定されて良いと考える。

ただ、寂しい者の視点から見れば、逆であって欲しいと考える。組織化して実際のメリットや収益を得る場所は他にいくらもある。そして特にクリエイティブな思考が無くともそんな物はいくらでも作る事ができる。逆に何も組織化されない隙間と言うのは作ろうとして作る事ができないものかもしれない。公園でもない、小径でもない、ただの場所だ。




どこの誰の物でもない、もちろん機能はないし、人が何人か集まったところで何も始まらない場所。適合している者たちには何の意味もない場所。そんな場所があって、それ以外もある。まあ、現代社会の中でその場所を探す事も作る事もできはしないとは思うが、何かの建物の中のような限定されたエリアの中ではどうだろう?

SketchUp / 1週間チャレンジ (Kindle版とペーパーバック版) 発売しました。

 SketchUp / 1週間チャレンジをAmazonから発売しました。

Kindle版が490円です。(読み放題で契約の方は0円) 大きなサイズの図が多いのでタブレットかパソコンで読んでいただくと良いと思います。

ペーパーバック版は印刷代がとても高いので税込1980円(本体1800円)にもなってしまいました。高いのでたぶん誰も買わないでしょう。ペーパーバック版はA4サイズで150ページ。Kindle版と異なり紙で読み易いように再編集しています。紙のメリットを活かす為に章毎にメモ欄も付けました。


SketchUp / 1週間チャレンジ (Kindle版) (←クリック)

この書籍の特徴は、普通の基本操作の解説に加えて躓くポイント、操作はできても考え方がわかり難いところ、そしてSketchUpには不可能な事や操作は正しくてもエラーが出てしまう事などを実際にやってみて検証しています。基本操作の方法ではできない事をプラグインでカバーする方法も同じ場所に書いています。下図はその例です。




それから、学習した操作方法を実際に使用して複雑めなモデルを作成してさらに困難なポイントを抽出しています。普通に垂直に立つ柱や壁のモデリングであれば誰でもできますが、対象とする読者は建築をやりたい人だと考えているので少なくともフランク・ゲーリー作品のモデリングができそう!程度にはしたつもりです。(つまり、ミース・ファン・デル・ローエや安藤忠雄のようなのではないもの)

注意点としては、AutoCAD等他のツールも同じですが、1つの事をやろうとした時にやり方は1つではないと言う事。目的とする形がどう言うものか、モデル作成の目的がアイデアを形にする事かプレゼン用に作成するのかや、作業工程の前後関係、自分の好み等によって選択肢の中から選ぶ事になると思います。学習した後にいくつか実際に作成しながら選んでいく必要はあります。操作覚えたからそれで終わりではないです。

作業の前後関係と言うのは、SketchUpに手描きのスケッチをインポートするのか、他のCADで描いた2D図面か、それとも3Dモデルか、そして出力がどんな形で欲しいのかと言う意味です。当たり前ですが、これ単独で建築の作業は成立しませんので。

とりあえず、Amazonから試し読みしてみてください。もしもっと詳しい情報が必要であればこのブログ上から連絡いただければと思います。


2021/11/15

SketchUp / 1週間チャレンジを出版する事になりました。


 

当初そんな予定は無かったのですが、SketchUpを学習する多くの方々にも有用とのご指摘を受けAmazonから電子書籍として出版する事になりました。日程は未定ですが近日中に出版される事になります。他で宣伝もしませんし、あまり売れるとも思いませんので値段は安く設定します。


内容は基本操作に的を絞っていますが、基本操作でカバーできない部分や間違えやすい部分に関しても掘り下げて書いています。また基本操作を用いてどこまでモデリングできるかの検証とその中での実際の困難についても書いています。

2021/11/11

SketchUpでモデリング中 その2


 

いろいろやってみているが、今のところ前回のモデルのところに戻って爆風にやられた風にしてみている。

えっ、何の意味があるかって?

最近は自然災害等、思いもよらないいろいろな事があって避けられないと言う事もある。家が必ずしも安心できる場所ではなくなってきていると思いませんか?

2021/11/09

SketchUpでモデリング中

最近記事をアップしていなかったので画像を載せておく。

これはいろいろやってみている中でSketchUpに何が難しいのかを確認するために作成したモデル。なのでこれを作成するのが最終目的と言うわけではない。そしてこれは途中の状態で完成でもない。そして素直に気持ち良い空間と言うようなものを作る気もない。どちらかと言うとその逆にしたいと考えている。







10月30日の記事でも書いたのだけれど、SketchUpはやはりCADだと感じる。操作方法は手続き主義であって、要はAutoCADと考え方としては違わない。とりあえず図面になるかはわからないがここをちょっと引いてみる、押してみる、歪めてみると言うようなのが不得意だ。それと点と点をほんの少しもずらさずにきちんと合わせる事も要求される。

何年後かにAIが導入され、人の言葉を理解してモデリングしてくれる事を望む。「ちょっとこうしてみて」と言うようになると良いのだが。 

2021/11/03

一緒にすると分けるが混在する

 1つの建築物の中には必ず「一緒にする事」と「分割する事」が混在している。これはどの時代のどの建築物でもほぼ同じだと思う。もちろん世界中の全ての建築物を見て言っているのではないけれど、これまで実際にも写真等でも見た物は全てそうなっていた。

どう言う事かと言うと、建築と言う作業をすると何らかのまとまった1つの物を作る事になる。1軒の家とか1つの美術館や博物館、オフィスビルや集合住宅は1つの建物か1つの敷地に入った1群になっている。つまり1つの物として企画される。

例えば1軒の家は1軒の家だけれど、その中身は壁やパーティションによって区切られている。間取りで区切られてそれぞれに機能を割り当てられて1軒になっている。中には機能無しの空間と言うのもあるけれど、隣りにある空間や部屋とは違う物としてやはりそれの1つの機能と考えても良いわけで、それもやはり1軒の家の中に「一緒にされ」ている。

けれど、せっかく一緒にしたのに中身は「分けて」いる。何故なのだろう?



ふっと、うちの猫を見る。こちらは可愛がっているつもりでこれまで一度も危害を加えた事はないが、箱に入って寝ている。猫も自分で空間を分けて使っている。

団地の中で「食寝分離」と言うのが標準になって使われた。このモデルが団地以外でもその後ずっと使われている。nLDKのようになって今でもある。夫婦の寝室、風呂、トイレ、キッチン、リビング、玄関、子供部屋のようになっている。分けるには物理的な理由もある。例えば水を使う部屋どうしはできるだけ近い方がコストが安いし換気の面でも似た性能が必要だ。でも、もしその問題がクリアできても「分ける」は存在し続けるだろうと想像する。

映画やドラマに出てくる億万長者の住む城のような家は1つ1つの部屋は広いけれど、やはり分けられているイメージがある。部屋が多くてお屋敷の中で迷ってしまうような。体育館ほどのだだっ広い1つの部屋に全てが入っていそうなイメージは無い。


うーん、人も猫と同じなのだろうか?やはり危険防止が分ける事の根本的な理由なのか?

新型コロナでこれまで毎日仕事に出かけていた人が家にいて、子供は学校に行けず、家族が一緒に1日の時間を家の中で過ごすようになって家族関係が悪くなるとか、中には暴力事件に発展すると言うようなニュースも出てきた。それが全体の傾向として増えたかどうかまではデータが無いのでわからないが、そうした問題も出てきた事は確からしい。

家族が一緒に過ごす事は総じて安心や安全を得るには良い事ではあるにしても、その中に入ると実は完全な安全、安心ではない。自分の経験の上でもそうだと感じる。父親と同じ部屋にずっといる事は困難な事だと感じるし、風呂やトイレに入るのに家族と言えど見られるのは全く現実的に考えられない。猫のように狭い場所で1人でしたい事がかなり多いのは確かだ。


日本の家ではお風呂とトイレが分かれているのが多い。家族で使うお風呂は1に1つ。トイレも共同で使うので家に1つだけ。そんな状態が全く考えられない国もある。トイレと風呂は一緒になっていてしかも寝室の横にある。だから面積が許せば寝室1つに必ずバスルームがセットになっている。だから寝室とお風呂やトイレが離れた場所に歩いていかなければならないなんて、しかもそのためだけに階段を昇り降りさせたりもするのはバンコクあたりのバックパッカーが泊まるドミトリーと同じだとなる。

しかしながら、ある意味、日本の家族関係は他国のそれよりは安全なのかもしれない。つまり、お風呂に入るのにパジャマを持って下着姿で歩けると言う意味だ。そう言う安全性の高い家族関係が背景にあるとも想像できる。それでも、壁が必要な程度には危険かもしれないが。


なぜこんな事を今更考えているかと言うと、理由は2つある。

1つは、写真でいろいろな建築家さんの家にまつわる作品を見ていると、その多くが従来の家のような壁やパーティションが無いかとても少ない。あってもそこに穴が開いていて壁らしい機能を捨てている。他人の家の中を写真で見せてもらうと狭い敷地であってもよく言う「気持ち良い空間」が作られていて納得する。家族がべったりではないにしろ、いると言う気配以上のものを感じる事ができて、それは家族のコミュニケーションに貢献する(らしい)。こうした傾向は、コミュニケーションしたい要求を反映してのものなのか?それとも、建築側の使命感として人どうしのコミュニケーションを促進するあいまいさを導入しただけなのか?

しかしながら、今現在でも「分ける」の方がメジャーなものとして市民権を得ているのが事実で、その不整合はどう考えれば良いのかとも思う。


もう1つは、これとは全く関係無い事だが、脱構築と言うようなのがあって、これに関してはいろいろ語られているしその内容もいろいろで簡単に一言二言で言えるものではないのだけれど、本当の根の部分まで遡るとどうやらこれはこうだと言う現状に疑問を呈するところから始まっているらしい。

それで、「一緒にする」と「分ける」が普通に誰もが疑問を持つ事なく行われている点に疑問を持っているのだ。分けるのを少なくする事に関しては、これと別の方向から多くの方々に検討されていて行われている。けれども、分け方に関しては手薄なのではないかと感じている。特に外観でなくてその中身と機能に関してだ。

上に書いた安全と言う前提条件が特に議論する事なく用いられている事や、プログラムの要素としてお風呂はお風呂と言う1つのエレメントとして不動の地位を保っているような事がそれが本当に今後も当たり前として通用するのか?と言う事だ。

変な話だけれど、東南アジアを旅行してどこかのお店で1皿頼んで食べる。レストランとしてはそれが普通で東京でもそれは変わらないが、キッチンまで同じとは限らない。そのレストランの裏に回って見るとレストランの建物の裏側に下水の溝が通っていてその脇に外国から出稼ぎで来ている労働者がコンクリートのたたきに座って盥を前にして皿を洗っている。日本ではキッチンの中に食洗器や洗い場が必ず作られていてそれはセットとして存在するが、ここではそうではない。少なくとも食器洗いは外に置かれて分割されている。労働も分割されているから見習いの調理人が皿を洗う事もない。

一般家庭でもキッチンに関してはドライキッチンとウェットキッチンに分かれている場合も多い。火を使う場所と洗い物や煮炊きが分かれている。掃除用具の置き場はどうだろう?日本ではクローゼットと一緒にしたりする場合があるが、外国人家政婦さんを雇うのが普通の国では自分の服と箒、バケツや床掃除用の洗剤を一緒に置く等はもっての外だ。

こうした事は生活習慣から来るものだけれども、それにしても、今のやり方、つまり分け方はどうなのだろうか?本当に分ける必要があるところで分けているのか、それとも必要や習慣と関係なく別のアイデアを導入して分けても構わないのではないかと思っている。その結果が機能的に異形であったとしても、それもアリにできる方法は無いのか?と。

2021/11/01

「sanwacompany Design Award 2021」提出案 その2

 

こちらは提出する前のスタディ版パネル。特に説明を書き加える必要の無い単純なプロダクトなので3つのパーツと使い方(右下)を添えているだけ。

最初に、なぜ「Libesking Shader」と言う名称になったかと言う事から説明する。単純なバーを適当に、いやデタラメに組み合わせて網状にすると何かに似ている。そう、建築家ダニエル・リベスキンドのスケッチだ。リベスキンド氏と言えば、建築に興味がある人なら誰でも知っている脱構築建築の有名人。製品名の由来はそれだけ。面白がって付けている。

審査員の方々なら理由を言わなくてもわかってくれるはず。

そしてパネルの家だけれども、これはミース・ファンデルローエのファンズワース邸を描いている。手描きだ。つまり、モダンの雄ミースのデザインに脱構築を乗せていると言うわけ。

建築マニア向けのシャレになっている。(審査には影響しないだろうが、その程度のシャレはあっても良いはず。)

このパネルを見ていて何となく物足りない気がしてしまって提出版は少し変えた。

変えたと言っても内容には何の変更もない。パネルの見た目だけの変更になる。少しポストモダン調にした方が動きがあって好きなのだ。ただ、これまでの受賞作品が全てがモダンスタイルなのでこれをどう見られるかは心配だ。


提出パネルには傾いた四角形、スタディでは傾かない青い四角形を挿入した。以前の「スターハウス」のパネルには傾いた黄色い四角形の中にコンセプトを入れた。こうしてアクセントとしてこのようなものを入れる事の意味は何だろうと、自分自身で入れながら時々考えている。

提出品の意味としては本当にアクセントでしかなく、無ければ無くても説明には困らない。だが、ある部分を目立たせる時や全体に躍動感を持たせたい場合にはどうしても使いたくなる。自分はグラフィックデザインの勉強はした事が無いが、その知識がある人はこうしたものをどのように使うのだろう? もしくは使わないのだろう? これは今後の課題だと考えている。


「sanwacompany Design Award 2021」提出案 その1

 

提出品その1の「PerchCam」。

最近の言えばモダンデザインを採用するものも多い。シンプルでかっこいい。ただ、そこに取り付ける全ての物がそのデザインにマッチするとは思えない。特に防犯カメラはその典型だ。性能の良い物を採用しようとすると形状がゴツイ。ゴツイ方が見た目で防犯になるのかもしれないが、家の外観デザインの事を考えると...うーん、そんなの取り付けたくないなあと思わないだろうか?

そして、この企画の大きな動機の1つは、人にとってどんなに美しい建物を建てたとしても元々そこにいたはずの動物たちにとっては無用の長物である事に間違いはない。それもどうにかすべきじゃないだろうかと考えた。

以前にその事を最初に思ったのは、ザッハハディドが香港に建てたか、計画して建てられなかったか忘れたが、氏のスケッチだった。空中に付き出した白い建物が確かに美しい。その周囲には緑の木々が描かれていた。人には良いが、動物には迷惑で何の役にも立たない物だよな、と思った。

そうだ、せめて家に止まり木位は付けてやっても良いのではないか?と言う発想。単純だ。


カメラのスペックは市販されている実在のカメラを参考にし、画角を計算するサービスで計算したものを採用している。その結果、鳥の止まる位置と遠方の人を同時に写せるレンズと(一般的な)撮像素子を想定する事ができた。


パネルの左上の四角い家のイラストは自前で描いている。家に見えると良いが。

2021/10/30

SketchUpを1週間やってみてわかった事


 SketchUpを1週間で速習してみた。この前やってみると書いたのが10月19日で実際に始めたのはその後だからほぼ1週間で一応モデリングできる操作は覚えた。

こうしたツールにはクセと言うか、何に合う合わないと言うのがあって、SketchUpはどちらかと言うとCADに近いものだった。アイデアを練るための道具と言う感じではないようだ。それは頭の中身があっちこっちと動くのに付いて行くツールではなくて、CADのようにきちんとした手続きが必要なものだから。粘度細工のようにはもちろんできないし、模型のようにクシャクシャにもできない。

しかしながら、それはそれで納得して使い道を考えれば良いので不満と言うわけではないが。

ところで、1週間やってみたのを全部細かくメモして取ってあるのでこれを小冊子のようにまとめるつもりだ。SketchUpの使い方は多くの人のブログやウェブサイトにあるが、1つに全てまとまっているものとなると、本(紙の本や多く出版されているが日本語で読める電子書籍では3000円クラスで1冊しかない。)か、いくつかの大学の講義の課題になっているので先生の書いたpdfファイル(無料)がいくつか検索で出てくるだけだ。

なので1週間チャレンジのメモで良いのであれば、このブログの連絡フォームにメッセージをくれればpdfにして差し上げても良いと思っている。ただし、無校正版になるけれど。(2021年11月10日位までで締切) と言ってもこのブログ、きっと誰も見ていないので誰もアクセスしてこないだろうとは思う。

上の画像は50mのスケール感を確認するためにSketchUpで江の島の駐車場にゴジラ(身長50m版)を上陸させてみたところ。SketchUpでゴジラを作るのはかなり困難と判明した(それもやってみてわかった成果の1つ)のでゴジラは無料配布サイトからいただいて自分で大きさとファイルフォーマットを調整してみた。

2021/10/19

SketchUpを使ってみる事にした


 パネル製作ツールと言うか、設計やデザイン全般に使うツールについてちょっと困っている。昔はAutoCADのコマンドを覚えていたのだけれど、今はAutoCADを持っていない。そして、サブスクリプションの購入価格が高く、とても個人では無理。

AutoCADに相当するCADとレンダリングまでできるツールを探していたのだけれど、どれも企業向けで高価だった。だからと言ってヤフオクで怪しいライセンスを買う事は絶対できない。ライセンスの出所がはっきりしない物を使ってしまって泥棒になると損害賠償請求されたら大変だ。

ある程度ならCADが無くともドローソフトでどうにかなる。けれども数値で位置等を指定しなければならないので限界はある。ドローソフトでもmm単位で位置指定できるけれども、多少ズレが発生したりしてモヤモヤする。


そこでいくつか無料で使えるCADソフトを試してみた。最有力だったのがFreeCADだったけれど、これはなぜか2D図面に弱い。描く事は可能だけれどもチュートリアルでも他で描いたものを持ってきた方が効率的だと言っている。それではデザインを検討しながら2Dと3Dを行ったり来たりができないので良いソフトウェアだったけれども諦めた。その他にも3Dモデリングソフト等含めて検討したけれど、AutoCADのようにオーバーオールで面倒見てくれるものは少ないようだった。

仕方なく、最後にたどり着いたのがSketchUp。ずっと以前にSketchUpは少しだけ試したことがあったけれどもほとんど忘れている。そして操作が簡単なので細かい描写がどれだけできるかが不安だった。もっともこれは当初希望したように完全にAutoCADの代替品ではなくて、その一部をカバーするだけのモデリング用ソフトではある。

とは言え、最新版でないにしろオフラインで使用できるSketchUp Make 2017と言う無料バージョンを供給元のTrimble社がダウンロード(クリック)させてくれるのでそれでどこまでできるか確認してみる事にした。

なのでしばらくコンペ提出は停止するかもしれない。

「次世代店舗アイデアコンテスト2021」提出案

 

前回の説明でだいたい想像ができたかと思うけれども、このようなシステムを提案した。

お金にならないものに価値を与えると言う事は、二酸化炭素排出権の取引と同じようなものだ。どうせならアマゾンやインドネシアなどの密林地帯に生えていて地球上に酸素を供給してくれている木、海にミネラルを排出して魚を育てている砂漠にもお金を払ったらどうかとも思うが、どうなんだろう?

とりあえず、ここでは景色にお金を払うと言うシステムにした。景色にお金が払われれば景観の保存→環境保持と人々の意識が移っていくのではないだろうか?そしてお金は当地に必要なインターネットや接続機器とそのメンテナンスに使われれば、識字率を上げ新しい産業を興すもとになり得るかもしれない。

作成しながら3枚にするか2枚で止めておくか迷った。3枚目は文字による説明ばかりとなり見た目が面白くない。読まない可能性もあるし、提案事項の単なる補足に過ぎない。しかし、最終的には3枚構成にした。

以下が最終案。





2021/10/16

無責任な未来

コンペの情報を検索していて気付くのはあまりにも多く「未来の」と言う言葉が使われている事だ。先日のスターハウスのコンペも「未来にある暮らし」と未来が使われていた。

冷静に考えて、そこで使われる未来が表すものは何の事だろう?

言語上の未来は今日から見た明日も未来であるし、1年後や10年後、そして100年後もどれも未来だ。しかしながら建築で未来となると少し限定される。なぜなら、建築物の寿命はどんなに立派な建物でも概して50年持てば良い方であるし、人の生活のリズムを考えれば20年かそこら経つうちに必ず区切りが来る。最近ではテクノロジーの進歩が速いために他人とのコミュニケーションの在り方や生活スタイルまで5年以内に変わる事さえある。

それを思いつつ未来の建築を模索するとすれば、さて、何をどうすれば良いのか?どこを前提条件にしてデザインすればよいのだろうか?どこまでの時間を考えれば良いのか?そしてさらに大きな問題は、今現在から想像不可能な将来の時間の中で起こる多くの変化に対して自らの建築と言うものはそれにどう対応する事を想定できるのかと言う事だ。


携帯電話が世に出た当時、多くの人は街角でどこでも電話してその場にいない人と話をしている姿はメンタリティに合わず、携帯電話は普及しないだろうと言った。普及するにしても高級車を乗り回すビジネスパーソンが使う程度だろうとはっきり言ったし、その意見を多くの人は支持した。スマートフォンが出た時には携帯電話ほどではないがやはり抵抗はあった。結果は知る通りであるけれども、要は多くの人はそれが大きな変化の兆しだとは想像できないのだ。

そして今、何が言われているかと言うと、もちろんそれは新型コロナの影響で家で仕事をするようになった、プラベートな空間だったはずの空間にそうでないものが入ってきてと言う話。そしてその為に建築でできる事は何かと言う話でもある。しかし、これは未来予測かと言うと、それは半分程度の事で、半分は突然発生した状況に修正して合わせると言うものだ。予想側の半分はそれがこれからも、つまりコロナが心配無くなったとしても続くのではないかと言うところになる。普通の意味での未来予想とは言い難い。

そこから先に対する答えはほとんど無い。できないだろう。

突然現れたコロナと違い事態が線形に進む変化で有ればそれでもまだマシで、例えば国内木材が余り始めた時、そしてカーボン排出の問題が重なった時にはこれからは木材をと言う動きが採られた。これは現在の状況から予測可能な未来への対応と言える。

しかしそれ以上に何が起きるか?しかも非線形で広範囲となるともうお手上げだ。

こうした議論は過去にメタボリズムの時代に既に行われていて、既に決着を見ている。答えはざっくりと言ってしまえば「諦める」だ。予測できない未来に対応するには変えられるようにすると言うもの。巨匠達にして答えはこれだ。

とすると、「未来の」を要求する時にそれは何を意味すると考えれば良いのか?、と一周回って元のところに返ってくる。この今現在、多くの場所で「未来の」建築への回答を求めている。そのいくつかはメタボリズム以上の答えを求めているだろう。今作って100年後にも200年後にも何らかの形で存続できる方法とは何か?ダメになったパーツを交換し、利用価値の無くなったプランを変更しと。

けれども別の一部で求めている答えは非常に無責任なものもある。未来予測してそれに合う建築をしなさいと、ただ単に無邪気に言っている。そうした問いに対する答えはさらに非常に無邪気なものである。無邪気な答えはそれが未来永劫固定された建築になりそのさらに先の未来は変化しない事になっている、決定版の未来像。空中に浮いた想像上の未来だ。つまりそれはSFに等しい。

だけれども、人間がそうした思考をしてしまうのも、人間の性質としてある意味仕方ないかも知れない。そこにあるのは変えたいと言う欲求や新規性を求める欲求だから。そこに現在の現実の問題解決を絡ませると何とは無しに説得力を得る。面白みを感じさせ、現実感を滲ませる。けれども、非常に無責任のようでもある。

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」提出案 その2

2021年10月12日からの続きです。

例によってスタディ中のJamboardの図だ。今回は時間が短かった事と提案する物の構想がはっきりしていたので迷走せずに最初から最後まで基本は変えなかった。

解決したかった課題は、事務仕事での紙書類とキーボードの干渉だ。この時代でもまだ紙の帳票を見ながらPCをいじると言う仕事は多い。紙のサイズは決まっている。キーボードは両手で操作する必要があるのでこちらもサイズが決まっている。ある人はキーボードを机の奥の方に置いて入力する時には手を長く伸ばして行う。ある人は紙をキーボードの右側に置き、首を回して見る。ある人は左手で紙を持ち、右手で入力。両手が必要な入力は紙を一旦左に置く。また、ペンで書類に書き込みながら同時にPC画面も参照する人もいる。いずれにせよ、それぞれの事情で大きさが決まっていてそれを同時に使用すると言う配慮がされていない。

そこで、サイズを変えられるのはどちらだと考える。もちろん、キーボードの方だ。キーボードと言えば、最近はスマホにもキーボードは表示される。スマホサイズだから小さい。ならばやってできないわけがない。どうせならペンを持ったまま入力できればさらにうれしいはずだ。

そう思ってよく考えれば難しい事など何もない。なぜなら、ペン入力式のタッチパネルと言う物があって、リアルタイムでペン先の位置を検出している。そこにキーボードのキートップを印刷しておいてキーの位置だけ検出させれば良い。ただ、通常のタッチパネルに普通のボールペンでタッチされてしまうと耐久性に欠ける。そこで表面にはステンレスの板を使う。ステンレスの板を押すと押したポイントが検出し難い。その解決方法は、タッチパネルとステンレス板の間に押し子(プランジャーシート)と呼ばれる、昔の携帯電話のキーの裏に入っていた凸シートを挟み込めば良い。

これならできるだろう。全て既存技術で作る事ができる。
ここで一度提出。


この案で提出した後に気付いた。コンセプトはもう少し書いた方が伝わるのではないかと。と言うのは、このコンペのお題が「UNLEARNING」で、「デザインは、逆らうことができる、批判することができる、多様性を示すことも知識や理想を壊すこともできる。誰も信じて疑ってこなかった真実にもう一度フォーカスして、モノとデザインの関係を再構築しよう。社会も思想も人も暮らしもうごめいているときに絶対的なものなど何もない。」となっている。提案はそれほど壮大なものではないかもしれないが、少なくとも現状ある普通を疑っている。そして変えようとしているのは間違いない。そこをもう少し強調しておくべきかと考えた。文字は多くなるが提出パネルは変えてみる事にし、結果として修正して再提出する事にした。



「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」提出案 その1

2021年8月22日からの続きです。

 これはスタディ中のもの。

8月22日分の投稿でも書いたが、パネルはあえてデザイナーが作ったクールなスタイルにはしていない。クールなスタイルでまともに作成して彼らに勝てる自信が無いのは言うまでもないが、集計用紙は事務仕事や現場仕事で使う物。だからそれにあえて合わせた。工場の現場から出てきた提案書のようなイメージにしている。デザインとは何?と言う問いにデザインはそればかりじゃないぞ!と言う回答のつもりでもある。

背景はおとなしく白ではなくて段ボール風。段ボールにいろいろ余計な紙が貼ってある。フォーマットが決められているのでそれにできるだけ従っているが、プロダクトが紙製品であってハサミやペンではないので少しそれに合わせて変えてしまった。


提案する製品は集計用紙。

通常の集計用紙は紙に単に何本もの横線が印刷されているだけ。それをどう使うかはユーザーが考えると言う簡単な仕組み。それを数字を記入するとグラフを描いたと同じように視覚化できる用紙に変えたのがこの提案。これは実際に自分で作って使った(ネパール人やバングラデシュ人に使ってもらった)事がある。これならエクセルより100倍速い。100倍高速に自分等の作業の結果がわかり、そしてすぐその場でフィードバックが出てくるから素早い修正が効く。そして現場管理者がこの集計用紙を見た時にも一目で問題がわかると言う仕組みだ。数字の羅列だけでは見落としが多くなるがそれが避けられる。

これが提出したパネル。スタディとそう違わない。よく見ると指紋や汚れがたくさん付いているように見えるが、それも追加した。わざと汚れた手で作成したように見せている。実際の指紋や汚れではなく、それ風に作成したものを使っている。


2021/10/15

「スターハウスの未来にある暮らし」1次審査通らず ページ2/2

 1次審査結果発表 | UR都市機構 (クリック)

※前の投稿記事からの続きです。

次は「Health-chi」について。

これは一目で面白い。こちらも大量供給され規格化された住戸群である団地の時代からどうにかコミュニティ作りをしよう、街作りをしようと言うトレンドがあった事を念頭に、さらにその次のコミュニティの在り方を模索したもの。時間のコンテキストを良くわかっていて、しかもそこから出てくる案が、それはそうだけど、物に展開すると奇想天外に見える。素晴らしい発想としか言いようがない。1つ目の作品「縁-ふち-」と2つめの「まちに風吹く、ソーシャルハウジング」を足して「健康」のスパイスをかけたら全く違ったものになったような感じだ。

そしてパネルの表現方法がまた良くて、スターハウスを開きにしたような図にしている。たまにこうした表現をする事はあるが、これは魅力を十分に伝える上でとても効果的だ。

ありがとうございます。


次は「シアター42」について。
この作品のユニークさは、問題を定義して解決策を示すのではなく、「問題自体を掘り起こす」事を目的にしている事。なかなかそう言う発想はできないものだ。東京大学の方なので研究をされている方なのかもしれない。

そして住空間をテーマとしたパフォーマンス(通常生活している中では無いものとして)を行う事で新しい可能性を模索する。そのために研究体を発足する。実現すれば非常に興味深い試みになると考える。ただ、自分には実際の研究の在り方やその後どうなるのかが全く想像できない。たぶん、こうした発想であっても何か先行する考え方に呼応しているものなのだろうと想像するが、自分にはその知識が欠けているので今のところわからない。

未来を創りだすと言う意味ではこの提案は本当に目的に適っているのかもしれない。逆に言うと自分のような人間の発想は未来よりももっとずっと手前の即物的なものでしかないのではないかと反省させられる。

ありがとうございます。


次は「間貸して暮らす」について。
近年はシェアリングエコノミーが普及し家をシェアして使うと言うサービスが出てきている。そのシェアの方法を動的にしてみたら、と言う方法だ。面白い発想だと思う。

そしてスター型だからこそ、別々の住戸のシェアされたエリアを繋げて1つのものとして使えると言うところも面白い。もちろんそんなに都合よく行くのか?と言うのはあるにしても。

しかしながら、その都合良くできるようにする仕組みがガラスの引き戸なのだろう。こちらも言葉では表現されていないけれども、1つ目の「縁-ふち-」、そして2つ目の「ソーシャルハウジング」で言われていた個が共有部分と繋がる事を暗に問題視していると考えられる。その意味でも優れたアイデアであると考える。

ちょっと気になるのは、このパネルのパースは単なる例として見るべきだろうけれど、貸さないでロックしている部分も外から見えるように描かれていて、誰に貸す事を想定しているのかな?と言う点。団地の他の棟からも人がここに集まるように説明されているから不特定多数の中の誰かも想定されていると考えられるのでその時にこのパネルのプランが最適と言えるのかどうかが少し疑問。貸すと言う行為に対応する行動やシステムは既にあると考えられるけれど、人の信用性はそうした外部のシステムに依存するものなのだろうか?

どうもありがとうございます。


次はもう少しマシなパネルが作れるように勉強します。
以上。

「スターハウスの未来にある暮らし」1次審査通らず ページ1/2

1次審査結果発表 | UR都市機構 (クリック)

昨日の夕刻にメールで通知があり、1次審査の結果が出ましたとの事。結果は、通過できませんでした。通過した方、おめでとうございます。そして、勉強のためにこれからその6作品のトレース(図ではなくて考え方や表現方法について)させていただきたいと思います。

まず、作品「縁 -ふち-」について。


問題意識はちょっと自分の作品と似ている。「共有部分に対して住戸が閉じていて住民どうしの交流が生まれにくい。」つまりは団地としての良さを活かす事ができていないと言う発想の部分。ただし、こちらの提案ではプランが単一である点についても問題にしていて、1)住戸の一部を共同オフィスのようなこれからの時代に合った別の空間に転用している事と、2)世帯構成のバリエーションにも「動的に変化できるように」考慮している。

確かにそれは良いアイデアだと思う。そこまで頭が回らなかった。ただ、住戸前にできた「縁」の部分についてはちょっと疑問が無いではない。と言うのは、ここを管理するのが誰かと言う問題が生じる。住戸内から生活が縁部分にあふれ出すとするとそこの管理は縁に接する住戸の人がするのだろうか?うーん、そうであれば物置にされそうな気がする。階段を上り下りする人から見えるべきではないだろうか? もし既存の管理者側の管理であればこれはかなり負担が大きい。縁部分に何を置くか、子供がいる場合とそうでない場合でバリエーションを設けるか、入居していない住戸前の見え難い場所のセキュリティの確保はどうするか、といろいろ考えなければならないポイントがありそう。

パネルは具体的な実現例が多く示されていてとても分かりやすい。こうした点が自分には劣っている、と言うか、途中で投げ出そうとした時にスキルの欠けている点としてわかっていた事なのだけれど。勉強が必要だ。

細かい点で、気になる事は、1)住戸から縁に出る時のドアが外開きになっているけれども、機能的に大丈夫なのだろうか?これは自分のアイデアでは引き戸にしたところ。 2)住戸内のプランで最も外側に風呂を置いているけれど、排水管は床を転がして中央部分まで持って行けるのだろうか? この時代の団地の床下は狭いと思うのだけれど。このあたりは自分でやった事がないので本当に知りたい点だ。

ありがとうございます。


次は「「まちに風吹く、ソーシャルハウジング
~スターハウスからまちに活動のネットワークが連続する、ソーシャルキャンパス構想~」について
こちらも社会と住戸の関係について問題にしている点は同じだけれども、捉え方がポジティブでコロナの影響で住戸内で仕事や学習をするなどの「社会の要素が入り込んだ」事に対応すると言う姿勢をとっている。

そして「ソーシャルキャンパス」と銘打っている事からわかるように 1)比較的若年層にターゲットを絞っている事、2)団地の敷地から外にでてさらに広い地域的つながりを考えていると言う特徴がある。

実際にスターハウスに手を入れているポイントはこの図でわかるように床を一部抜いて段違いの吹き抜けを作っているところ。この位大胆な提案でも良かったのかと反省。実施する事を考えると製造業の者としてはどうしてもコストと対比してしまうし、それに「未来」がこのプランで100年先まで確定と考えられないからどうしてもできなかった。自分に自信が無いだけなのかもしれない。

気になる点は、1)ソフトウェアの負担がとても大きい事。クラウドファンディングでと言う記述はあるけれど、継続的な経営の視点が必要でどちらかと言うと建物よりそちらの方が大変ではないだろうか?何かノウハウがあるのかも知れないけれど。2)それと、たぶん例として描かれていると想像するが、スターハウスの中身のプログラムがきちんと決められているから本当に大学のように上手く決まりきったカリキュラムで運営しないと上手く使われないのではないかと言う懸念もある。これに近い案はよく自治体が団地等の再生と言う題で公開している資料にもあって、運用負担が大きくてNPOに頼るような事が書かれてありいずれもほとんど実現していないと言うのも現実。3)また、ハウジングとなっているけれど住む事に関しての言及が少ない点がちょっと気になります。逆に言うと、実現性よりも夢と想像力を先に行かせた方がこうしたコンペでも通るものなのかと思った。

ありがとうございます。


次は「大きなケヤキと囲い庭」について。
こちらは前者2つの案と完全に発想の基が違っていて、団地建設当時の良い住環境の中にある住戸の特性を肯定しさらに現代に合うように、そしてスターの形状特性を活かす形で調整している。その結果、1フロア3戸であったところを2戸に減らした提案になっている。

面白いと思う点は、1)文字で説明が無いのだけれど、各住戸が通路に接する点がホワイエとなっていて、絵でもガラスで住戸内が外から見えるようになっている点。言葉で書かないにしても他の住人達との関係をちゃんと意識して案にしている。言葉はコンセプトに集中して他はこうして絵が語るようにすると言うのは相当にスキルが高い、と羨ましく思う。2)それと、居室はバスをコアに配置して区切っているけれど、室内にはバスルームに入る以外のドアが全くない。一般的には子供が大きくなったらと言われかねないにしてもとても現代的に思い切りが良くて好ましいと感じる。

ちょっとだけ気になる点は、1)外壁にCLTを貼っていて建物の見た目にも気を使っていて見た目もとても良いけれど、住んでいる人からはあまり見られないかもしれないなと思う事。外から見た時にコンクリートの塊よりはずっと嬉しいしコンセプトにもぴったりなので良いとは思う。2)パイプシャフトが完全に無くなっていて代わりになるものが全く平面図上に描かれていないけれど、それは考えなくても良かったのだろうか?と言う疑問もある。部屋がドア無しであってエアコン等で電気の負荷も大きくなるしオリジナル状態で無かった通信線も必要になる事を考えると実際にはシリアスな問題になるのではないだろうか? と言うか、実施の可能性があるコンペでもそこを考えないで提出して良かったのか、とちょっと驚いた。

ありがとうございます。

後3つの案があるので、次の記事につづく。





2021/10/14

「ALTERNATE REALITIES 2022」面白いコンペ発見

 

Alternate Realities | Architecture Competition - the Charette(クリック)

(※画像はWorld Architecture Community(クリック)からのもの)

何が面白いかと言うと、建築環境を自分の想像力で決めて良い事。重力の存在、場所、その時代の技術レベルその他、要は題名にある通りに「代替現実」の中でデザインする。と言うより代替現実そのものをデザインすると言う要素も含む事になる。

そして主催者からのメッセージはこれ。

Unleash your creativity – Surprise us!

- Be critical – Say something about the world.

- Striking visuals – Capture the imagination of architects and non-architects alike.

- No design is too wild!

創造性を解き放ち我々を驚かせろ!

- 批判的であれ。世界に物申せ。

- 印象的なビジュアルを作れ。建築家もそうでない者でも同等に想像力を掻き立てろ。

- どんなデザインもワイルド過ぎる事はない!


エントリー期限:2021年12月30日まで (早期エントリーあり)

提出期限:2022年1月30日

エントリー料金:USD35、45、55 (エントリーの日による)

賞:名誉のみで賞金はありません。


ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」(2021年9月12日の記事)でも少し触れたのだけれども、自分自身で自分の心に制限を加えていて常識的でつまらない考えに囚われているのではないかと思っている。たぶんそれは間違っていないはずで、誰もが全く想像できないような何かを生み出す事を自分自身で諦めている可能性が高いだろう。

その次の段階へ行けるのだろうか? ねえ、せんたろ~さん。(ここは業務連絡。)

2021/10/13

隈研吾 批判するのは簡単だけれど

 今朝Twitterを見ていたところ、隈研吾氏の「ユゥーアップ-四ツ谷」が話題に上っており、否定的な意見のコメントが長く連なっていた。建築関係者や建築を学ぶ学生のコメントはほとんど無いようだった。

写真を見れば確かにいろいろ言われるのはわかる。

Twitter(クリック)を検索すると出てくる。

けれども、建築の立場からは良い悪いを別として違うレイヤーで見なければならないだろう。良い悪いは結果であって、悪いと判断される結果も十分にあり得る。それはそれでデザイナー本人が受けるべきものだから。なのでそちらはご本人に任せるしかない。

しかしながら、建築で考えるべきはその奥にある意味の方だ。なぜこれが成立すると考えられて実際に施工される事になるのかと言う事だ。

もう1つ最近似たような批判を受けている隈研吾氏の作品がある。
これは日経XTECH(クリック)さんの記事から。
こちらも四谷のマンションに似ていて、木材の裏側に黒っぽい実際のトイレが見える。そこに単に木材がランダムに張り付いているだけに見える。


隈研吾氏は世界中でたくさんの建物をデザインして実際に建っている。それらをよく見ても特定の傾向があるのか、それとも無いのかがわかり難い。共通点は素材の質感を生かす事や特徴的、または伝統的な構造を用いている事位のように見える。理解し難い。

ただ、どれも隈研吾氏1人の頭から出てきたもののはずなので何かあるはずだと考える。そこでもう1つ思うのは、こちらの理解の仕方の方に問題があるのではないかと言う事だ。なぜそう考えたかと言うと、建築の専門家の批判、建築を学んだ人の批判の基になっているのがどれも「モダニズム」だと気付いたからだ。

既にモダニズムは過去のものであって、有名建築家の作品はそれを超えて別の地平に達していると考えるが、形状に対する批評ではやはり未だにモダニズムの占める位置が大きいように見受けられるし、モダニズムを超えて次に行った建築作品もその考えの基がモダニズムではないかな?と思う事が多い。特に「構造と見た目が矛盾しない」事を目指し、それを良しとする傾向はモダニズムから来ているだろう。

そうした目で見ると隈研吾氏の作品はダメに見える。木材や石材の質感が表に現れているがその中身とは無関係にそこにある感が否めない。つまりデコレーションであって表面は中身と全く別に、もしくは表面だけデザインしている。隈研吾氏の作品の中には構造と見た目がリンクしているものもあるので常時そうしているのではない。つまり、どちらでも構わないと考えているのだと想像できる。

その意味では自由なのかも知れない。

自由の意味はモダニズムがその前の時代の建築から自由になったように、隈研吾氏はモダニズムからも、自由になったとも思える。(いや、氏はもともとポストモダンで出てきているのでモダニズム的思考や批判から自由にと考えるべきかだろう。)モダニズムは地上階の構成からその上の階の構成を自由にした。柱から壁を自由にした。いろいろ自由にやって良いとした。そしてポストモダンの時代にはさらに柱は垂直でなくとも良いし壁は平面でなくても構わないとさらに自由度を増した。そうした全てを自由にして良いとの考え方に立てば、表面だけ良いようにデザインして中身は別でも良いよね、と、それも新たに加えられた自由度と言えない事もない。

思えば隈研吾氏の名前が世に広く知れたあのM2も何の脈絡もない複数のデザインが混合したようなポストモダン建築で似たような批判を浴びていた。そう考えればやはりその自由度の高さを示すに過ぎない、もしくは反骨精神を表すに過ぎないのではないだろうか。

そうすると、良い悪いは別として、「この人アホや!」と言うような批判が隈研吾氏への誉め言葉になるのだろう。もしそうだとすれば、氏ほどの自由度は批判する側、そして自分自身にあり得るのだろうか?と見直してみるべきだ。

2021/10/12

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」その2 応募 そして変更

  昨日応募提出したが取り下げて変更し再提出した。

コンセプトの部分のみ変更した。初期案では文章のような形でコンセプトを書かずに絵のみにしていたが、提出後に冷静になって考えると独りよがりだったような気がした。シャワーを浴びてふっと一息と言うところで...そう言う場面ではもう何も考えていないのだけれども、脳みそはなぜか勝手に動いているようで「違うな」と気付いた。

ポイントは、デザインアワードの課題に書かれているここだ。

「デザインは、逆らうことができる、批判することができる、多様性を示すことも知識や理想を壊すこともできる。誰も信じて疑ってこなかった真実にもう一度フォーカスして、モノとデザインの関係を再構築しよう。社会も思想も人も暮らしもうごめいているときに絶対的なものなど何もない。グランドデザインはUNLEARNINGの先にある。」

この部分に応えていると言うのをきちんと文章にして示すべきだと考えた。提案としてはもちろん応えているし、答えの1つを出しているはずだ。けれどもパネルは伝えるためのものなのだ。


提出案は2021年10月16日の締切後に公開します。

2021/10/11

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」その2 応募

  2つ目のアイデアで応募完了。

提出パネルのデザインは本当に難しい。本体のデザインは機能で決まる部分が多いのでプロトタイプとしてシンプルを心がければ良いのだけれど、パネルに関してはそれ以上に見せる必要がある。建築でもこうした工業製品でも図面が入る事が要求され、文字も必要になるのでテンプレートを見本にと言うのがなかなかできない。

KOKUYOデザインアワードの場合はA3縦で最上段左にタイトル、右にコンセプト、中断にデザインと使用シーン、下段に寸法入り図面と決まっている。最初はこれに合いそうなテンプレートを使うのだけれど、すぐにめちゃくちゃになって元のテンプレートとはかけ離れたものになってしまう。こうした物にも癖が出る。良いか悪いかはわからない。


今回の提出品も締切後に公開。

2021/10/09

ノイズ

 街を歩くと種々雑多な音が聞こえる。それは自ら聞きたい音ではないのでノイズとして認識される。人の歩く音などはそう大きくはないが人が多いとそれでもかなりのものになる。カツカツとかパタパタとか、一つ一つが明瞭でなく擬声語にもならない音が集団になって入ってくる。そこにオートバイの通り過ぎる音が時々混じり、後ろから調理の音が聞こえてきたり風が吹いて木が揺れたりする。

それらはどれも自分にとって要らない音なのだけれども、聞いているとなぜか安心するような感覚がある。不思議だ。

これは音ばかりではないかも知れない。例えば木を植える。街はコンクリートやガラスや木材でピシッとした直線、直角、たまには弧で構成されている。人が作るにはそれが簡単だ。木は人が植えても建物のように直接にも直角にも平面にもならない。木は時々葉を落として地面をランダムなマダラ模様にする。どう見ても視覚上のノイズだ。

部屋に小物を置く人がいる。お皿、人形、料理が好きなら調理器具が吊るされるし、模型や花、本など様々な物が置かれる。どれもサイズがピシッと同じではないし、色もそれぞれ。これも言ってみればノイズだろう。

音に話を戻すと、音楽を制作する時に音を作るけれど、その時にもノイズを混ぜている。ギター演奏でも音符の音とは別の弦をこするキュッと言うような音が入る。それがまた良かったりする。

そう思うと、自分でコントロールできないノイズは自分にとって良いと感じるものの1つかも知れない。木材にも木目や色むらがありそれは味があると言って好まれるが、それもノイズだ。建築ではボイドと言う言葉があって、建築は場所を全て機能で埋め尽くさず、ポンっと何も無いポイントを作ったりする。またはできてしまう事を喜んだりもする。ボイドは多くの場合ランダムに配置されたりする。まるでデザインしたのでなくて、できてしまった風にその意図を隠すように。それもある意味ノイズを混ぜていると言えないか?

先日、間取について書いたけれど、間取志向では一般に、可能な限り床面積に無駄を作らないようにする。つまりこちらはノイズを排除する考え方だろう。

何が良いか悪いかと言うつもりは無くて、自分の目指す方向はこのノイズの方だなと思う。ノイズ、これを追求して行くべきなのだろうと考える。

2021/10/08

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」その2

  今日、メールを受信したところ、コクヨさんからメールが入っていた。

[応募の締切間近!] とビックリマーク付きで。


そこで、もう1つアイデアを思いついてしまったので一つ短期間で仕上げてみる事にした。建築には全然関係ないのだけれども、パネル作成の練習のつもりでやってみる。それに設計は建築より機械系の方が仕事では慣れているので。まあどちらにしても同じようなものだ。


今回のアイデアは、ペンやパソコンで使う機器はもうこれはこんな物だと誰もが普通にそう思うほどに一般的で使い方も形状も決まってしまっている。けれども、いや、それでまだ不便な使い方になっているよね、と感じる事もある。あまりに普通過ぎて誰ももうそれを不便だとは言わなくなっている。人間はおかしなもので、不便な仕事、辛い仕事に慣れて毎日のようにしているとそれをする事が自分の誇りのように考えてしまう。毎日「痛」勤しているのだ。

さて、今は具体的にどんなアイデアかはここに書かないが、もう1つだけ重要なポイントを書いておこう。それは、日本の物作りの原点みたいな事で、「小さく作る」と言う事。アメリカの大きな自動車を見ててんとう虫スタイルの車を作ったり、ウォークマンを作ったりしてきたそのやり方だ。そう言うのは忘れずにさらに何度もやってみるべきじゃないかと考えている。

だから今回は何かを小さくしてみる。


これも個人ではなくてTeam OBASUでの参加。そして最終提出パネルは締切後の2021年10月16日にここで公開します。

2021/10/07

ザ・ムーン・キャッチャーと「間取」の間で

  President’s Medals(クリック)

ここは学生作品のコンペサイトで、過去から最近までの受賞作品が山ほど見られる。本当に山ほどある。そしてレベルが高い。世界中の建築を学ぶ学生の作品なのでどうしても良いものが選ばれる。

作品の傾向はバラバラで、実施プロポーザルに近いものから完全インスタレーションまでいろいろ。ほとんど文字が書かれておらず、図面らしきものも無いどちらかと言うと絵画と言って良いものもある。それでも、それでも、それでも、全部建築の中に入る活動のアウトプットなのだ。そして驚く事に、そのどれもが何らかの社会の問題を解決しようとしている点で共通している。あるものは部分的に、そしてあるものは全地球や人類全てに共通する問題を。

ちなみに、2021年9月12日の記事『ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」』(クリック)もPresident's Modelsの受賞作だ。

改めて建築と言うのは幅広くて面白いと感じる。そして、全く平凡な表現をしてしまうが、凄い。


先日、ネットである事を検索していたところ、たまたま誰かに意見を求める掲示板のようなサイトがあった。そこに書かれていた相談は、「家を建てようと考えていて、住宅メーカーが提示した間取に自分たちで手を加えてみたけれどもこの間取で問題無いだろうか?」と言うものだった。質問とともに簡単な平面図が載せられていた。多くの経験者といくらかの設計者がコメントを寄せていて、どれも質問者にとって有用なコメントと思えた。トイレの位置が遠い、台所の収納はそんなに必要ない、通気のためにここに窓を設けた方が良い、リビングが家の中央寄りになっているので暗いだろう、等々。

と、またPresident's Medalsのサイトに視線を戻す。

この間取の問題と、President's Medalsの作品とどう繋がっているのだろう? President's Medalsのインスタレーション的作品まで行かなくても、実際の世の中には多くの建築家がデザインしたちょっと面白い、ちょっと以上に面白い家が多くある。正確にはあるらしい。それらは雑誌や書籍やネットで紹介されるけれども街を歩いていて行き当たる事が少ないから「らしい」で良いと思う。多少実感に欠ける。それらを見るとあの間取とは違った考え方でデザインされているのがわかる。とても個性的だし、物によっては本当に家なのか?と感じる物もある。けれども、それらはちゃんと人が住める家として成立している。個人の欲望を満たし個人の美意識に訴える。そして何らかの生活上の問題を解決してもいる。President's Medalsの作品と間取の中間にいると思われる。


もう1つ別の視点。もし、自分が建てるならどうするだろう?

いや、そこはもちろん、何か心を動かされる建築をデザインするさ、と言いたいところだが、それは本当なのか? 家には窓が必要だよね。では窓はどんな窓でどこに付ける? 通気、換気、そして採光を考える。広い窓の方が気持ち良いよ。南向きだよな。床はそうだな、フローリングで壁の色は明るく白かな? キッチンはリビングに近い場所か、それとも対面にしてダイニング兼用で...と考えて行くとどうだろう? もちろん、そうやってどんどん頭の中をいっぱいにしていけば住宅メーカーさんが持ってきてくれる間取ってものを検討して、ここはちょっと変えたいなと言い出すはずだ。これが普通。

それで、自分の立ち位置をどこに置くかと考える。

あれはもう2ヶ月近く前になるけれど、スターハウスの未来にある暮らしに応募(クリック)した時に感じた事なのだけれど、やはり実施の可能性があるデザインであると実現性を考えないといけないのでどうしても間取のような考え方に偏ってきてしまう。そして提案は1戸分でなくて複数戸になればなおさらで、あまりに個性的にするわけにはいかないと。寝室とバスルームの位置関係、子供のいる家庭が入った場合、和室は必要か?、個々の部屋は狭くても部屋数は多めでないといけないのでは?

それをどんどん考えて行くとオリジナルの設計者が考えて採用されたように標準設計戻ってしまう。そもそもそれが問題だったにも関わらず。


この問題、考えれば考えるほど多岐に渡る議論が必要だ。けれどもこれを議論のネタにするつもりはない。どちらかと、言うと自分が考える中でいくつかの立場を行き来する事ができて、本当に自分にとって(他人の場合もある)何が良いか、どのレイヤーの自由度を優先するかを特定の立場に偏らずにいて考えられるようにしたい。

窓? 自分にとってこの窓必要? 床って平らな方が良いのか? トイレにドア付ける? 玄関は要らないか? 車はベッドの横に停めようか?

自由を求めるには自分も自由な場所に居られないといけないと思うが、自分自身を自分で縛ってしまっている不自由さの方をより多く感じてしまう。普通、建築をやっている人はそう言う、自分自身の事など言わないのだろうが。

2021/10/05

「野生のガラス」提出パネル その2

 

2つめの作品の提出をした。今回は起案から提出までに3日間だけ。作り物はあるが実施設計ではないので図面無しで済ませた。(前回提出したものは本当にガラスだけなので作り物は無しだった。)

上の絵がJamboard上の検討画面。本当はもっと絵があったが消しながらやったので残っているものは少ない。と言ってもラフスケッチからあまり変更が無いので初期パネルを残す意味も無いが。

このコンペ、一応建築のコンペなのだからもう少し建築的な感じの提案にしたらどうか?と考えないでもないが、何しろお題が「野生のガラス」と言うようなどうしても禅問答なのでそれに対応する案を出して良い...と言うよりは出すべきなのじゃないかと思う。だいたい巨匠と言われる建築家のスケッチもそれ単体で見たら何だこりゃ!的なものなわけだし。それに比べればこれでも「確かに作ろうと思えば作れるよね」レベルだと思うからかなりマシのはず。寸法は書いてないけれども。


寸法は書かないけれども、建築として何をやっているかと言うと、それは「社会問題の解決への提案」だ。建物を作るだけが建築の仕事ではないと考えるので。

我々は使用し終わったガラス(今回は「コントロールからこぼれ落ちるガラス」)を廃棄と言う名目で見えない場所に「隠している」。そしてそれ以上その物の事を考えず、忘れてしまう事で生活を成り立たせている。忘れられたその物は死体としてずっとそこに置かれたままとなる。その理由は、最近はリサイクルや持続可能な社会と言われるが、「それするにはお金がかかるんだよ」と言う各論によってさらに放って置かれるかもしれない。つまり、資本主義の論理にはなかなか抗えないのだ。

と言うわけで、やる事は簡単だ。活きられる場所に置いてやろう、と言う事。

とは言え、それはどこだ?と考えなければいけない。そう、誰かの邪魔になってはいけないわけだし。そこで思いついたのは、頭の上。人が歩く上の空間はほとんど誰も使っていない。上を見れば空が見える。そこに置こう。そうすれば完璧ではないが強い雨は弱まり、強い太陽光は柔らかになるだろう。それで彼らはずっと生きていける。


提出日は2021年10月3日。この記事は提出期限の後に予約投稿で公開。

「野生のガラス」提出パネル その1

 

スタディ08でどうも複雑すぎてわかり難いと感じたので、スタディ09以降全く変えてみた。1枚で短編小説を読んだ感じになるようにしたかった。最上段にセリフを1つ入れてそれが全てを説明している風になっている。(そんな小さな文字を読んでもらえるか?と言う疑問はある。)

細かい調整をしながら中央奥に人物を入れ、手前の自分との関係を強調している。やはり空間から何かを感じても最終的には人と人の関係に影響するものだろうと考えたから。
以下が最終提出案。
これが建築コンペの提出品なの?と多くの人は思うのではないだろうか?
それで良いのです。

(この投稿はコンペの締め切り日を過ぎた時点で公開されるように予約投稿しています。)



2021/10/04

大富豪による巨大人工都市計画で理想郷の夢を見る

 大富豪マーク・ローリー氏、総工費4000億ドルの巨大都市建設計画を発表 - CNN (クリック)

先日(2021年9月28日)に「出しゃばり過ぎない「塔」の提案に感銘」と言う記事を書いたが、ちょうど「大富豪マーク・ローリー氏の巨大都市建設計画」で本当に都市を作る計画に関する記事が出てきてこちらはどうなのか?と気になって読んでみた。

都市の名称は「テローサ」。記事で真っ先に注目されているのはやはり技術の側面だ。「環境に配慮した建築、持続可能なエネルギー生産、さらに渇水にも耐えうるという水道システム」、「超高層ビル、エクイティズムタワーは、高架貯水槽、エアロポニックス(空中栽培)農園、生産した電気の共有・分配が可能な太陽光発電屋根が装備され、レイアウトプランは「自宅から15分以内で職場、学校、各種公共施設に行ける」となっている。

そしてその技術よりも特に注目すべきポイントは、「透明性のある管理・運営と『社会の新しいモデル』。住民らが意思決定や予算編成に参加できる。」、「世界で最もオープンで、最も公正で、最も包括的な都市」と言うところ。

なぜこの点が技術よりも注目すべき点になっているかと言うと、マーク・ローリー氏の真の目的は「資本主義の重大な欠陥を是正し、より公平で持続可能な未来を築く」事となっているからだ。もし本当に可能であれば、まさに人間としての理想郷に近いものができるかもしれない。

もし「できれば」だけれども。


短い記事の文章から判断してしまっては良くないが、第一段階で5万人規模の都市、40年後に500万人に達する巨大な都市になるとして、そこに住み着く住民の多くがオープンで公正な都市の何らかの意思決定に本当に参加するものだろうか?

どうしてそうした懸念が生じるかと言うと、そもそも都市とは何かと言うところから来る。都市と言うと一般に多くの先進機能が集中しそれを目当てに多くの人が流入する場所である。平たく言えばカッコイイ場所だ。だから多種多様な人々がそこで出会い、そしてさらに何か素晴らしいものが生み出される。それは一面として正しい。けれども、それとは逆の面の方が実は大きいと考える。つまり、人が集まってその場所を運営する事によって何もしない、何も考えないでそこに居る人間が相当に多くなると言う事だ。なぜならば、便利だから。所得から一定割合の税金を支払う事ができ、ある程度の家賃や公共料金と生きるために必要なコストを負担できさえすれば郊外や農村に住むよりは相当に便利だ。ただそこに生きるためだけならば何も積極性は要らない。街が便利であればあるほど自分自身で考える必要すら無くなる。それが都市であると言うのも別の一面として正しいはずだ。

500万人が意思決定に参加するとしたら、それは本当に革命的であると思われる。もちろん全く方法が無いとは思わないが、それを実現するには既に言われているスマートシティの構想を相当に超えた何かが必要になると考える。


追ってそうした事に関する報道や資料が出てくる事を切に望みます。

建築におけるおとぎ話、SF、空想と実装の間に

  (仮称)ふくしま農業人材育成センター施設設計プロポで、辺見設計・C+A共同企業体が最優秀者に選定。技術提案書も公開(クリック)


これは個人で参加できないコンペのプロポーザルとその結果。5者の提案書とその講評が全てpdfで公開されていたので読ませていただいた。ちょっと考えさせられるものがある。

まず上から提案書を1つづつ見ていった。

最優秀となった辺見設計・C+Aさんの提案タイトルは「先人の開拓スピリットを未来へつなぎ、新時代のリーダーを生み出すクリエイティブ・プラットフォーム」、再生建築研究所・八光建設さんのタイトルは「農業の今と未来をつなぐ校舎--おおらかな風景とあたらしい文化をつなぐ小さな小屋--」このあたり、志がとても高いのがわかる。それ以外はもう少し現実的なタイトルになっているけれども、内容を読ませていただくと同じようにやはり志はとても高い。どれも素晴らしい提案になっている。

提案課題は5つ。

  • 県農業の持続的発展に向けた先端技術(スマート農業)を学べる施設
  • 良好な教育・研修環境の中で学生や研修生が快適に過ごせる施設
  • 学生等の自らの学びと農業者、指導者等と多様な交流を促す施設
  • 伝統と革新、地域に配慮した意匠、県産材の積極的な活用とエネルギー性能が高く持続可能性に優れた施設
  • それ以外に提案者が特に重要と考える提案
詳細資料はこちらから。

なぜこの公募が行われたかと言うと、老朽化した施設の更新とアップデートされた研修に必要な施設を作りたいから。なぜそれをするかと言うと、教育研修体制と内容を強化する事と学校の運営機能を強化したいから。さらにその上位の目的は地域の農業経営者でありリーダー人材の不足を補いたいから。具体的にはIT技術を応用したスマート農業に明るい人材を輩出する事。こちらももっともな内容となっている。公募を募るにあたってもちろん基本要件はきちっと決められている。

考えさせられるものがあると言ったのは次の点。
提案するに当たって、公募資料の中に無いものが多く混じっている。それは例えば、スピリット、自由で多様、交流を促す、何かと何かを有機的につなぐ、学生が能動的または自主的にと言うような事。これはそれぞれの提案者のノウハウであるとも考えられるけれど、単に修飾にも見える。実際にそこに働く教師や学生にリサーチしてと言うのもあまり考えられないし、要件の中では何をやるは書かれて行ってもどのようにとは書かれていない。そうしたところからおとぎ話、SF、空想を重ねて実施提案に被せて行くのだろうと思われる。

実施しないコンペや学生作品であればこうした空想は常にあり、逆に言うとそれが無ければいけないのだけれども、実施となると言葉にして表しにくいポイントを提案者が大幅に補う作業が必要なのだろう。

そしてモヤモヤしてしまうのは、実際の教師や学生はどのように彼らの中で交流と言うのをしたがるものなのだろうか?教師は交流より一方的に知識を頒布するものとして教育を考えていたりはしないだろうか?学生は想定よりも積極性に欠けていて教えられた事を飲み込む作業のみに焦点を当てていると言う事はないだろうか?そうしたネガティブな側面を建築は別のより良い方向へ向ける手助けはできるのだろうか?そもそもそうした提案自体が必要なのだろうか?と言った事だ。こうした事は提示されている書類からはなかなか読み取れない。


ただ、それとは別にもう1つ思うのは、もし提案者にそうした、つまりおとぎ話を紡ぎ出すマインドが全く無いとしたら、きっとそれでも建築と言うものは出来るのだろうけれど、出来た途端にその建築は劣化を始めてしまい、ただの中古建築になって行くのではないかと想像できる事。作られた時点が最も価値があり、5年、10年と経過するうちにどんどんと価値を落としてしまうただの建物になってしまうのではないかな?、とそんな風にも考える。これは全くわからない事だけれど、

いずれにせよ、参考になりました。ありがとうございます。

2021/10/01

「野生のガラス」もう1つ提出しようか?

  「野生のガラス」(クリック)コンペの応募締め切りが10月4日となっているが、突然、もう1案出したくなった。時間が無いので急ぐ。幸いにも明日、明後日は土日で休暇だ。時間がある。このコンペは実施コンペではないので詳細設計は無くて構わないはず。急げばできるかもしれない。


人の管理から零れ落ちたガラスたちと言えば廃棄される色ガラス。リサイクルされるようになってはきているが未だに廃棄処分が多い。分別が難しいからだ。そして廃棄されて地面の上に置かれているとそのままずっとそこにあり、腐らない、風化しない、土には返らないまま死体としてそこにずっとある。

アイデアは単純だ。置き場所を変えるだけだ。あまり使われる事のないどこかにこれを移動してやるだけで生き返ると言う事はないだろうか?と言うもの。

あった、あった、その場所が。

これ以後は提出できたら公開予定。急ごう。

「スモールハウスコンペティション2021- bigHOUSE」

  スモールハウスコンペティション2021 応募ページ(クリック)


コンテナハウスの商品化を前提としたコンペだそうです。

(以下の概要は間違いがあるかもしれないので公式ページで確認してください。)

募集内容

  • 木製コンテナデザイン(コンセプト、想定ターゲット含)
  • 最大サイズ:間口2,350mm × 奥行5,460mm × 高さ2,800mm
  • ただし、可動を前提とし基礎に連結しない。

提出物

  • A3用紙(片面1枚、横向き)最大5枚程度(3~5MB以内のpdfでも可)
  • 図面、パース、ドローイング、CG、模型写真など
  • コンセプトや作品の特徴、アピールポイントは文章にてまとめる

締切:2021年10月31日 (日)

  • 【一次審査】2021年11月10日(水)
  • 【二次審査】11月19日(金)、オンラインプレゼンテーション
  • 【結果発表】11月30日(火)、公式ホームページにて

  • 最優秀賞 (1点):賞金30万円
  • 優秀賞  (1点):賞金20万円
  • 入選   (3点):学生部門・プロ部門・アマ部門 各賞金15万円
  • 社長賞  (1点):賞金10万円
  • 工場長賞 (1点):賞金10万円
  • 営業部長賞(1点):賞金10万円
※プロ部門、アマ部門、学生部門に分かれているそうです。Webのフォームでエントリーすると3つのうちのどれかに✓を入れるようになっています。最優秀賞金が30万円と高くないですが、賞が多くあるので他のコンペより入賞し易いかもしれません。


以前からコンテナハウスやトレーラーハウスには興味があった。その理由は、1)価格が普通に家を建てるほど高くない。 2)日本にいる母の家が(普通は実家と言うらしいが)地震、火山爆発を懸念しなければならない場所に建っているので、普通の家では避難できない。移動可能であればできる可能性が残されている事と、移動できなかったとしても地面に連結されておらず自立していれば揺れても地震で潰れる可能性が低いと考えられるため。3)また、家族の人数が夫婦2人のみなので部屋数も面積もあまり多くを必要としないため。

こう言うのは軽自動車と同じで限られた面積と体積を可能な限り広くとろうと考えるのでどうしてもデザイン的に最大限に広げた箱をイメージしてしまう。そうなるともちろん誰がどうデザインしてもあまり違わなくなってしまいそうだ。そんな中、何かやって面白い事があるだろうか?どうかなあ?日本人はスモールハウスが得意な人が多そうだから上手い人も多いだろう。

2021/09/28

出しゃばり過ぎない「塔」の提案に感銘

 The Sponge: Skyscraper To Collect Rainwater For Drinking And Farming In Africa (クリック)

eVoloのスカイスクレイパーコンペティション2021の奨励賞の作品。これは他の作品とは異なるとても興味深い作品だった。

スカイスクレイパーのコンペなので塔を提案しなければならない。塔となると建物としての塔単体の建築案が多いが、これもそうであって、そうでもない。そうでない部分は塔を中心にした生活の場を含んだ提案になっているところ。そうである部分は提案しているのが塔の部分だけであるところ。矛盾した言い方かもしれないが、提案は、あえて塔を提供するだけに留めている。つまり都市計画ではない。

やり方としてはそこにある村の要素を分解して塔にまとめているだけだ。追加したのは塔の中央にある「水」のみ。生活の基本てきやり方は何も変えていない。塔があるからメンテナンス用にマネジメントは必要だが、行政の機能は追加していない。壮大な提案ではあるが出しゃばり過ぎる事に警戒している。


塔を建てるとどうしても無意識に都市のようなものを考えてしまう。そこを中心に何かが行われる。中心ができるとそこに人が集まる事もあってマネジメントが必要になる。マネジメントはつまり行政で、行政があるとそのコストを賄うために税金が必要だ。税金があり、すべき項目が多くなると配分を考えなければならず、代表者が選出されたり首長が出てきたりする。そうなると生活もこれまでと全く変わってしまう可能性があり、権力が集中し人はそれに従う事を要求されるかもしれない。

この案はそれを全く要求していないどころか、故意に避けている。素晴らしい作品だと思う。この作品で優勝できないとは!


建築と言う作業は「インターフェイス作り」と定義する場合もある。そのインターフェイスが何と何のインターフェイスかと言うのはあまりはっきりとは言われない。建物と人と言うし、人と人と言うのも一般的だ。建物と人であればそれは作る事が重要で、作りてのエゴのように感じられる事もある。人と人は言うまでもなく、異質の人どうしが出会って何かが起こるような事。よくある。この作品は生活とその具体的手段のインターフェイスだろうか? 自分としてはこの作品のようなインターフェイスが理想的と考えるのだが.. どうだろう?


らくがき「国会議事堂コンセプト」

 

昨日、塔の作り方を考えていたが、逆にした方が良いものもあるのではないかと思いついた。塔は上方に高く聳えるものだが、地面より下方に作られて上から覗き込まれるものだ。それが国会議事堂。

国会開催時には傍聴が可能だが、30分前に行って傍聴券をもらう必要がある。委員会は議員を通じて許可をもらわないと傍聴できない。傍聴では拍手や声をあげる事はできない。国会に入るには一応ドレスコードがあるらしい。(明確でない。)ただ、コートは脱がないといけない。(テロ対策と思われる。)

と言うわけで、適当に行って上から覗くようにしたら良いのではないか?と言うもの。


現在の議事堂は、昭和11年(1936)に帝国議会議事堂として竣工。設計は一般公募(コンペ)され、118応募の中から宮内省技官、渡邊福三(1870年(明治3年)7月11日 - 1920年(大正9年)3月19日スペイン風邪で亡くなる)の案が採用された。案は「ギリシア様式ルネサンス風」だとの事。工期は17年を要している。帝国議会の議事堂だけあって"帝都の威信"を体現した重厚感ある建築。つまりは欧米の議事堂に負けない立派さを求めてデザインされたと考えられる。

とすれば現在のような民主主義そのものを表現したデザインとは言い難い。(帝国議会が民主主義と反対の体制であったと言うのではない。一応帝国議会の中でも徐々に民主化への動きが進んでいた事は事実。戦時中だけの事を考えてもまずい。議事堂建設はそれ以前の時代であるから。)

そのあたりを踏まえて考え、そして今の政治の在り様も考えて次に作るとしたらどうだろう?と言うもの。(笑って!)

2021/09/27

塔の作り方を考える

 塔の作り方を考えてみた。

塔と言う物は、横幅や奥行きよりも高さの方が何倍も大きい。だから高く空に向かってそびえ立つ形状になっている。

通常は周囲の建物よりも高くなるので皆が見る。機能的に高くなければいけない場合としては東京タワーのような電波を送受信するもの。横浜ランドマークタワーのように目立つ必要があるもの。敷地面積を可能な限り有効に使いたいためにタワー形状で建てられるオフィスビルなどの場合がある。

機能でなく、何かの象徴のような意味合いを持たせる場合にも塔が使われる。
たった1つの真理がある事を表現するためにも塔が使われる。宗教のような場合だ。この場合、その他の真理らしきものは全て排除され認められない。
また、権威を示す場合にも塔は使われる。現在の教育制度では学問は民主化された制度の基に行われているが、昔はそうではなかった。学問を修める建物の中央は高い塔とそこに時計が置かれた。これは学ぶ者達が1つの統一されたルールに権威によって管理されている事の象徴である。
教室の中では学生は教師に従わなければならない。教師は絶対的な真理を「授ける」者として扱われた。つまり、権威の執行代理人である。
となると、塔の最上部には真理を持つ絶対者が存在する可能性が出てくる。歴史の中ではたまにそうした事例がある。塔を作る場合には、このようにならないように注意しなければならない。

ではどうするのが良いか? 準を追って考えてみる。
どんなカテゴリー、セグメントの人も平等にアクセスできる必要がある。
塔はどうしても上方に伸びるので、人が上方へ向かう理由を考える。観光なら誰でも上がれると思うが、料金が発生した時点で平等が損なわれる可能性がある事も考慮しなければならない。(建設にもコストがかかるのでバランスが必要。)
上昇して向かう先はどうなっているのだろうか? 向かう先が1つであればそこでまたヒエラルキーが生じる可能性がある。そして人々をたった1つのスケールで評価して順に並ばせてしまう可能性もある。上方に伸びる線を1つとする必要は無く、多くのオプションがあっても構わないだろう。


そして出来たのが上図の右側である。下段には多くの入口があり多くの人々に開かれている。そして中央付近で混じり合う。上方にはヒエラルキーに従わないいくつかの部分があり、必要に応じて、または好みに応じてどこかに入る事ができる。最上部になる部分はいくつかあってそこに優劣は無い。また最上部に人が立ち、下を見下ろす事はない。