President’s Medals(クリック)
ここは学生作品のコンペサイトで、過去から最近までの受賞作品が山ほど見られる。本当に山ほどある。そしてレベルが高い。世界中の建築を学ぶ学生の作品なのでどうしても良いものが選ばれる。
作品の傾向はバラバラで、実施プロポーザルに近いものから完全インスタレーションまでいろいろ。ほとんど文字が書かれておらず、図面らしきものも無いどちらかと言うと絵画と言って良いものもある。それでも、それでも、それでも、全部建築の中に入る活動のアウトプットなのだ。そして驚く事に、そのどれもが何らかの社会の問題を解決しようとしている点で共通している。あるものは部分的に、そしてあるものは全地球や人類全てに共通する問題を。
ちなみに、2021年9月12日の記事『ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」』(クリック)もPresident's Modelsの受賞作だ。
改めて建築と言うのは幅広くて面白いと感じる。そして、全く平凡な表現をしてしまうが、凄い。
先日、ネットである事を検索していたところ、たまたま誰かに意見を求める掲示板のようなサイトがあった。そこに書かれていた相談は、「家を建てようと考えていて、住宅メーカーが提示した間取に自分たちで手を加えてみたけれどもこの間取で問題無いだろうか?」と言うものだった。質問とともに簡単な平面図が載せられていた。多くの経験者といくらかの設計者がコメントを寄せていて、どれも質問者にとって有用なコメントと思えた。トイレの位置が遠い、台所の収納はそんなに必要ない、通気のためにここに窓を設けた方が良い、リビングが家の中央寄りになっているので暗いだろう、等々。
と、またPresident's Medalsのサイトに視線を戻す。
この間取の問題と、President's Medalsの作品とどう繋がっているのだろう? President's Medalsのインスタレーション的作品まで行かなくても、実際の世の中には多くの建築家がデザインしたちょっと面白い、ちょっと以上に面白い家が多くある。正確にはあるらしい。それらは雑誌や書籍やネットで紹介されるけれども街を歩いていて行き当たる事が少ないから「らしい」で良いと思う。多少実感に欠ける。それらを見るとあの間取とは違った考え方でデザインされているのがわかる。とても個性的だし、物によっては本当に家なのか?と感じる物もある。けれども、それらはちゃんと人が住める家として成立している。個人の欲望を満たし個人の美意識に訴える。そして何らかの生活上の問題を解決してもいる。President's Medalsの作品と間取の中間にいると思われる。
もう1つ別の視点。もし、自分が建てるならどうするだろう?
いや、そこはもちろん、何か心を動かされる建築をデザインするさ、と言いたいところだが、それは本当なのか? 家には窓が必要だよね。では窓はどんな窓でどこに付ける? 通気、換気、そして採光を考える。広い窓の方が気持ち良いよ。南向きだよな。床はそうだな、フローリングで壁の色は明るく白かな? キッチンはリビングに近い場所か、それとも対面にしてダイニング兼用で...と考えて行くとどうだろう? もちろん、そうやってどんどん頭の中をいっぱいにしていけば住宅メーカーさんが持ってきてくれる間取ってものを検討して、ここはちょっと変えたいなと言い出すはずだ。これが普通。
それで、自分の立ち位置をどこに置くかと考える。
あれはもう2ヶ月近く前になるけれど、スターハウスの未来にある暮らしに応募(クリック)した時に感じた事なのだけれど、やはり実施の可能性があるデザインであると実現性を考えないといけないのでどうしても間取のような考え方に偏ってきてしまう。そして提案は1戸分でなくて複数戸になればなおさらで、あまりに個性的にするわけにはいかないと。寝室とバスルームの位置関係、子供のいる家庭が入った場合、和室は必要か?、個々の部屋は狭くても部屋数は多めでないといけないのでは?
それをどんどん考えて行くとオリジナルの設計者が考えて採用されたように標準設計戻ってしまう。そもそもそれが問題だったにも関わらず。
この問題、考えれば考えるほど多岐に渡る議論が必要だ。けれどもこれを議論のネタにするつもりはない。どちらかと、言うと自分が考える中でいくつかの立場を行き来する事ができて、本当に自分にとって(他人の場合もある)何が良いか、どのレイヤーの自由度を優先するかを特定の立場に偏らずにいて考えられるようにしたい。
窓? 自分にとってこの窓必要? 床って平らな方が良いのか? トイレにドア付ける? 玄関は要らないか? 車はベッドの横に停めようか?
自由を求めるには自分も自由な場所に居られないといけないと思うが、自分自身を自分で縛ってしまっている不自由さの方をより多く感じてしまう。普通、建築をやっている人はそう言う、自分自身の事など言わないのだろうが。
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