2021/10/30

SketchUpを1週間やってみてわかった事


 SketchUpを1週間で速習してみた。この前やってみると書いたのが10月19日で実際に始めたのはその後だからほぼ1週間で一応モデリングできる操作は覚えた。

こうしたツールにはクセと言うか、何に合う合わないと言うのがあって、SketchUpはどちらかと言うとCADに近いものだった。アイデアを練るための道具と言う感じではないようだ。それは頭の中身があっちこっちと動くのに付いて行くツールではなくて、CADのようにきちんとした手続きが必要なものだから。粘度細工のようにはもちろんできないし、模型のようにクシャクシャにもできない。

しかしながら、それはそれで納得して使い道を考えれば良いので不満と言うわけではないが。

ところで、1週間やってみたのを全部細かくメモして取ってあるのでこれを小冊子のようにまとめるつもりだ。SketchUpの使い方は多くの人のブログやウェブサイトにあるが、1つに全てまとまっているものとなると、本(紙の本や多く出版されているが日本語で読める電子書籍では3000円クラスで1冊しかない。)か、いくつかの大学の講義の課題になっているので先生の書いたpdfファイル(無料)がいくつか検索で出てくるだけだ。

なので1週間チャレンジのメモで良いのであれば、このブログの連絡フォームにメッセージをくれればpdfにして差し上げても良いと思っている。ただし、無校正版になるけれど。(2021年11月10日位までで締切) と言ってもこのブログ、きっと誰も見ていないので誰もアクセスしてこないだろうとは思う。

上の画像は50mのスケール感を確認するためにSketchUpで江の島の駐車場にゴジラ(身長50m版)を上陸させてみたところ。SketchUpでゴジラを作るのはかなり困難と判明した(それもやってみてわかった成果の1つ)のでゴジラは無料配布サイトからいただいて自分で大きさとファイルフォーマットを調整してみた。

2021/10/19

SketchUpを使ってみる事にした


 パネル製作ツールと言うか、設計やデザイン全般に使うツールについてちょっと困っている。昔はAutoCADのコマンドを覚えていたのだけれど、今はAutoCADを持っていない。そして、サブスクリプションの購入価格が高く、とても個人では無理。

AutoCADに相当するCADとレンダリングまでできるツールを探していたのだけれど、どれも企業向けで高価だった。だからと言ってヤフオクで怪しいライセンスを買う事は絶対できない。ライセンスの出所がはっきりしない物を使ってしまって泥棒になると損害賠償請求されたら大変だ。

ある程度ならCADが無くともドローソフトでどうにかなる。けれども数値で位置等を指定しなければならないので限界はある。ドローソフトでもmm単位で位置指定できるけれども、多少ズレが発生したりしてモヤモヤする。


そこでいくつか無料で使えるCADソフトを試してみた。最有力だったのがFreeCADだったけれど、これはなぜか2D図面に弱い。描く事は可能だけれどもチュートリアルでも他で描いたものを持ってきた方が効率的だと言っている。それではデザインを検討しながら2Dと3Dを行ったり来たりができないので良いソフトウェアだったけれども諦めた。その他にも3Dモデリングソフト等含めて検討したけれど、AutoCADのようにオーバーオールで面倒見てくれるものは少ないようだった。

仕方なく、最後にたどり着いたのがSketchUp。ずっと以前にSketchUpは少しだけ試したことがあったけれどもほとんど忘れている。そして操作が簡単なので細かい描写がどれだけできるかが不安だった。もっともこれは当初希望したように完全にAutoCADの代替品ではなくて、その一部をカバーするだけのモデリング用ソフトではある。

とは言え、最新版でないにしろオフラインで使用できるSketchUp Make 2017と言う無料バージョンを供給元のTrimble社がダウンロード(クリック)させてくれるのでそれでどこまでできるか確認してみる事にした。

なのでしばらくコンペ提出は停止するかもしれない。

「次世代店舗アイデアコンテスト2021」提出案

 

前回の説明でだいたい想像ができたかと思うけれども、このようなシステムを提案した。

お金にならないものに価値を与えると言う事は、二酸化炭素排出権の取引と同じようなものだ。どうせならアマゾンやインドネシアなどの密林地帯に生えていて地球上に酸素を供給してくれている木、海にミネラルを排出して魚を育てている砂漠にもお金を払ったらどうかとも思うが、どうなんだろう?

とりあえず、ここでは景色にお金を払うと言うシステムにした。景色にお金が払われれば景観の保存→環境保持と人々の意識が移っていくのではないだろうか?そしてお金は当地に必要なインターネットや接続機器とそのメンテナンスに使われれば、識字率を上げ新しい産業を興すもとになり得るかもしれない。

作成しながら3枚にするか2枚で止めておくか迷った。3枚目は文字による説明ばかりとなり見た目が面白くない。読まない可能性もあるし、提案事項の単なる補足に過ぎない。しかし、最終的には3枚構成にした。

以下が最終案。





2021/10/16

無責任な未来

コンペの情報を検索していて気付くのはあまりにも多く「未来の」と言う言葉が使われている事だ。先日のスターハウスのコンペも「未来にある暮らし」と未来が使われていた。

冷静に考えて、そこで使われる未来が表すものは何の事だろう?

言語上の未来は今日から見た明日も未来であるし、1年後や10年後、そして100年後もどれも未来だ。しかしながら建築で未来となると少し限定される。なぜなら、建築物の寿命はどんなに立派な建物でも概して50年持てば良い方であるし、人の生活のリズムを考えれば20年かそこら経つうちに必ず区切りが来る。最近ではテクノロジーの進歩が速いために他人とのコミュニケーションの在り方や生活スタイルまで5年以内に変わる事さえある。

それを思いつつ未来の建築を模索するとすれば、さて、何をどうすれば良いのか?どこを前提条件にしてデザインすればよいのだろうか?どこまでの時間を考えれば良いのか?そしてさらに大きな問題は、今現在から想像不可能な将来の時間の中で起こる多くの変化に対して自らの建築と言うものはそれにどう対応する事を想定できるのかと言う事だ。


携帯電話が世に出た当時、多くの人は街角でどこでも電話してその場にいない人と話をしている姿はメンタリティに合わず、携帯電話は普及しないだろうと言った。普及するにしても高級車を乗り回すビジネスパーソンが使う程度だろうとはっきり言ったし、その意見を多くの人は支持した。スマートフォンが出た時には携帯電話ほどではないがやはり抵抗はあった。結果は知る通りであるけれども、要は多くの人はそれが大きな変化の兆しだとは想像できないのだ。

そして今、何が言われているかと言うと、もちろんそれは新型コロナの影響で家で仕事をするようになった、プラベートな空間だったはずの空間にそうでないものが入ってきてと言う話。そしてその為に建築でできる事は何かと言う話でもある。しかし、これは未来予測かと言うと、それは半分程度の事で、半分は突然発生した状況に修正して合わせると言うものだ。予想側の半分はそれがこれからも、つまりコロナが心配無くなったとしても続くのではないかと言うところになる。普通の意味での未来予想とは言い難い。

そこから先に対する答えはほとんど無い。できないだろう。

突然現れたコロナと違い事態が線形に進む変化で有ればそれでもまだマシで、例えば国内木材が余り始めた時、そしてカーボン排出の問題が重なった時にはこれからは木材をと言う動きが採られた。これは現在の状況から予測可能な未来への対応と言える。

しかしそれ以上に何が起きるか?しかも非線形で広範囲となるともうお手上げだ。

こうした議論は過去にメタボリズムの時代に既に行われていて、既に決着を見ている。答えはざっくりと言ってしまえば「諦める」だ。予測できない未来に対応するには変えられるようにすると言うもの。巨匠達にして答えはこれだ。

とすると、「未来の」を要求する時にそれは何を意味すると考えれば良いのか?、と一周回って元のところに返ってくる。この今現在、多くの場所で「未来の」建築への回答を求めている。そのいくつかはメタボリズム以上の答えを求めているだろう。今作って100年後にも200年後にも何らかの形で存続できる方法とは何か?ダメになったパーツを交換し、利用価値の無くなったプランを変更しと。

けれども別の一部で求めている答えは非常に無責任なものもある。未来予測してそれに合う建築をしなさいと、ただ単に無邪気に言っている。そうした問いに対する答えはさらに非常に無邪気なものである。無邪気な答えはそれが未来永劫固定された建築になりそのさらに先の未来は変化しない事になっている、決定版の未来像。空中に浮いた想像上の未来だ。つまりそれはSFに等しい。

だけれども、人間がそうした思考をしてしまうのも、人間の性質としてある意味仕方ないかも知れない。そこにあるのは変えたいと言う欲求や新規性を求める欲求だから。そこに現在の現実の問題解決を絡ませると何とは無しに説得力を得る。面白みを感じさせ、現実感を滲ませる。けれども、非常に無責任のようでもある。

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」提出案 その2

2021年10月12日からの続きです。

例によってスタディ中のJamboardの図だ。今回は時間が短かった事と提案する物の構想がはっきりしていたので迷走せずに最初から最後まで基本は変えなかった。

解決したかった課題は、事務仕事での紙書類とキーボードの干渉だ。この時代でもまだ紙の帳票を見ながらPCをいじると言う仕事は多い。紙のサイズは決まっている。キーボードは両手で操作する必要があるのでこちらもサイズが決まっている。ある人はキーボードを机の奥の方に置いて入力する時には手を長く伸ばして行う。ある人は紙をキーボードの右側に置き、首を回して見る。ある人は左手で紙を持ち、右手で入力。両手が必要な入力は紙を一旦左に置く。また、ペンで書類に書き込みながら同時にPC画面も参照する人もいる。いずれにせよ、それぞれの事情で大きさが決まっていてそれを同時に使用すると言う配慮がされていない。

そこで、サイズを変えられるのはどちらだと考える。もちろん、キーボードの方だ。キーボードと言えば、最近はスマホにもキーボードは表示される。スマホサイズだから小さい。ならばやってできないわけがない。どうせならペンを持ったまま入力できればさらにうれしいはずだ。

そう思ってよく考えれば難しい事など何もない。なぜなら、ペン入力式のタッチパネルと言う物があって、リアルタイムでペン先の位置を検出している。そこにキーボードのキートップを印刷しておいてキーの位置だけ検出させれば良い。ただ、通常のタッチパネルに普通のボールペンでタッチされてしまうと耐久性に欠ける。そこで表面にはステンレスの板を使う。ステンレスの板を押すと押したポイントが検出し難い。その解決方法は、タッチパネルとステンレス板の間に押し子(プランジャーシート)と呼ばれる、昔の携帯電話のキーの裏に入っていた凸シートを挟み込めば良い。

これならできるだろう。全て既存技術で作る事ができる。
ここで一度提出。


この案で提出した後に気付いた。コンセプトはもう少し書いた方が伝わるのではないかと。と言うのは、このコンペのお題が「UNLEARNING」で、「デザインは、逆らうことができる、批判することができる、多様性を示すことも知識や理想を壊すこともできる。誰も信じて疑ってこなかった真実にもう一度フォーカスして、モノとデザインの関係を再構築しよう。社会も思想も人も暮らしもうごめいているときに絶対的なものなど何もない。」となっている。提案はそれほど壮大なものではないかもしれないが、少なくとも現状ある普通を疑っている。そして変えようとしているのは間違いない。そこをもう少し強調しておくべきかと考えた。文字は多くなるが提出パネルは変えてみる事にし、結果として修正して再提出する事にした。



「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」提出案 その1

2021年8月22日からの続きです。

 これはスタディ中のもの。

8月22日分の投稿でも書いたが、パネルはあえてデザイナーが作ったクールなスタイルにはしていない。クールなスタイルでまともに作成して彼らに勝てる自信が無いのは言うまでもないが、集計用紙は事務仕事や現場仕事で使う物。だからそれにあえて合わせた。工場の現場から出てきた提案書のようなイメージにしている。デザインとは何?と言う問いにデザインはそればかりじゃないぞ!と言う回答のつもりでもある。

背景はおとなしく白ではなくて段ボール風。段ボールにいろいろ余計な紙が貼ってある。フォーマットが決められているのでそれにできるだけ従っているが、プロダクトが紙製品であってハサミやペンではないので少しそれに合わせて変えてしまった。


提案する製品は集計用紙。

通常の集計用紙は紙に単に何本もの横線が印刷されているだけ。それをどう使うかはユーザーが考えると言う簡単な仕組み。それを数字を記入するとグラフを描いたと同じように視覚化できる用紙に変えたのがこの提案。これは実際に自分で作って使った(ネパール人やバングラデシュ人に使ってもらった)事がある。これならエクセルより100倍速い。100倍高速に自分等の作業の結果がわかり、そしてすぐその場でフィードバックが出てくるから素早い修正が効く。そして現場管理者がこの集計用紙を見た時にも一目で問題がわかると言う仕組みだ。数字の羅列だけでは見落としが多くなるがそれが避けられる。

これが提出したパネル。スタディとそう違わない。よく見ると指紋や汚れがたくさん付いているように見えるが、それも追加した。わざと汚れた手で作成したように見せている。実際の指紋や汚れではなく、それ風に作成したものを使っている。


2021/10/15

「スターハウスの未来にある暮らし」1次審査通らず ページ2/2

 1次審査結果発表 | UR都市機構 (クリック)

※前の投稿記事からの続きです。

次は「Health-chi」について。

これは一目で面白い。こちらも大量供給され規格化された住戸群である団地の時代からどうにかコミュニティ作りをしよう、街作りをしようと言うトレンドがあった事を念頭に、さらにその次のコミュニティの在り方を模索したもの。時間のコンテキストを良くわかっていて、しかもそこから出てくる案が、それはそうだけど、物に展開すると奇想天外に見える。素晴らしい発想としか言いようがない。1つ目の作品「縁-ふち-」と2つめの「まちに風吹く、ソーシャルハウジング」を足して「健康」のスパイスをかけたら全く違ったものになったような感じだ。

そしてパネルの表現方法がまた良くて、スターハウスを開きにしたような図にしている。たまにこうした表現をする事はあるが、これは魅力を十分に伝える上でとても効果的だ。

ありがとうございます。


次は「シアター42」について。
この作品のユニークさは、問題を定義して解決策を示すのではなく、「問題自体を掘り起こす」事を目的にしている事。なかなかそう言う発想はできないものだ。東京大学の方なので研究をされている方なのかもしれない。

そして住空間をテーマとしたパフォーマンス(通常生活している中では無いものとして)を行う事で新しい可能性を模索する。そのために研究体を発足する。実現すれば非常に興味深い試みになると考える。ただ、自分には実際の研究の在り方やその後どうなるのかが全く想像できない。たぶん、こうした発想であっても何か先行する考え方に呼応しているものなのだろうと想像するが、自分にはその知識が欠けているので今のところわからない。

未来を創りだすと言う意味ではこの提案は本当に目的に適っているのかもしれない。逆に言うと自分のような人間の発想は未来よりももっとずっと手前の即物的なものでしかないのではないかと反省させられる。

ありがとうございます。


次は「間貸して暮らす」について。
近年はシェアリングエコノミーが普及し家をシェアして使うと言うサービスが出てきている。そのシェアの方法を動的にしてみたら、と言う方法だ。面白い発想だと思う。

そしてスター型だからこそ、別々の住戸のシェアされたエリアを繋げて1つのものとして使えると言うところも面白い。もちろんそんなに都合よく行くのか?と言うのはあるにしても。

しかしながら、その都合良くできるようにする仕組みがガラスの引き戸なのだろう。こちらも言葉では表現されていないけれども、1つ目の「縁-ふち-」、そして2つ目の「ソーシャルハウジング」で言われていた個が共有部分と繋がる事を暗に問題視していると考えられる。その意味でも優れたアイデアであると考える。

ちょっと気になるのは、このパネルのパースは単なる例として見るべきだろうけれど、貸さないでロックしている部分も外から見えるように描かれていて、誰に貸す事を想定しているのかな?と言う点。団地の他の棟からも人がここに集まるように説明されているから不特定多数の中の誰かも想定されていると考えられるのでその時にこのパネルのプランが最適と言えるのかどうかが少し疑問。貸すと言う行為に対応する行動やシステムは既にあると考えられるけれど、人の信用性はそうした外部のシステムに依存するものなのだろうか?

どうもありがとうございます。


次はもう少しマシなパネルが作れるように勉強します。
以上。

「スターハウスの未来にある暮らし」1次審査通らず ページ1/2

1次審査結果発表 | UR都市機構 (クリック)

昨日の夕刻にメールで通知があり、1次審査の結果が出ましたとの事。結果は、通過できませんでした。通過した方、おめでとうございます。そして、勉強のためにこれからその6作品のトレース(図ではなくて考え方や表現方法について)させていただきたいと思います。

まず、作品「縁 -ふち-」について。


問題意識はちょっと自分の作品と似ている。「共有部分に対して住戸が閉じていて住民どうしの交流が生まれにくい。」つまりは団地としての良さを活かす事ができていないと言う発想の部分。ただし、こちらの提案ではプランが単一である点についても問題にしていて、1)住戸の一部を共同オフィスのようなこれからの時代に合った別の空間に転用している事と、2)世帯構成のバリエーションにも「動的に変化できるように」考慮している。

確かにそれは良いアイデアだと思う。そこまで頭が回らなかった。ただ、住戸前にできた「縁」の部分についてはちょっと疑問が無いではない。と言うのは、ここを管理するのが誰かと言う問題が生じる。住戸内から生活が縁部分にあふれ出すとするとそこの管理は縁に接する住戸の人がするのだろうか?うーん、そうであれば物置にされそうな気がする。階段を上り下りする人から見えるべきではないだろうか? もし既存の管理者側の管理であればこれはかなり負担が大きい。縁部分に何を置くか、子供がいる場合とそうでない場合でバリエーションを設けるか、入居していない住戸前の見え難い場所のセキュリティの確保はどうするか、といろいろ考えなければならないポイントがありそう。

パネルは具体的な実現例が多く示されていてとても分かりやすい。こうした点が自分には劣っている、と言うか、途中で投げ出そうとした時にスキルの欠けている点としてわかっていた事なのだけれど。勉強が必要だ。

細かい点で、気になる事は、1)住戸から縁に出る時のドアが外開きになっているけれども、機能的に大丈夫なのだろうか?これは自分のアイデアでは引き戸にしたところ。 2)住戸内のプランで最も外側に風呂を置いているけれど、排水管は床を転がして中央部分まで持って行けるのだろうか? この時代の団地の床下は狭いと思うのだけれど。このあたりは自分でやった事がないので本当に知りたい点だ。

ありがとうございます。


次は「「まちに風吹く、ソーシャルハウジング
~スターハウスからまちに活動のネットワークが連続する、ソーシャルキャンパス構想~」について
こちらも社会と住戸の関係について問題にしている点は同じだけれども、捉え方がポジティブでコロナの影響で住戸内で仕事や学習をするなどの「社会の要素が入り込んだ」事に対応すると言う姿勢をとっている。

そして「ソーシャルキャンパス」と銘打っている事からわかるように 1)比較的若年層にターゲットを絞っている事、2)団地の敷地から外にでてさらに広い地域的つながりを考えていると言う特徴がある。

実際にスターハウスに手を入れているポイントはこの図でわかるように床を一部抜いて段違いの吹き抜けを作っているところ。この位大胆な提案でも良かったのかと反省。実施する事を考えると製造業の者としてはどうしてもコストと対比してしまうし、それに「未来」がこのプランで100年先まで確定と考えられないからどうしてもできなかった。自分に自信が無いだけなのかもしれない。

気になる点は、1)ソフトウェアの負担がとても大きい事。クラウドファンディングでと言う記述はあるけれど、継続的な経営の視点が必要でどちらかと言うと建物よりそちらの方が大変ではないだろうか?何かノウハウがあるのかも知れないけれど。2)それと、たぶん例として描かれていると想像するが、スターハウスの中身のプログラムがきちんと決められているから本当に大学のように上手く決まりきったカリキュラムで運営しないと上手く使われないのではないかと言う懸念もある。これに近い案はよく自治体が団地等の再生と言う題で公開している資料にもあって、運用負担が大きくてNPOに頼るような事が書かれてありいずれもほとんど実現していないと言うのも現実。3)また、ハウジングとなっているけれど住む事に関しての言及が少ない点がちょっと気になります。逆に言うと、実現性よりも夢と想像力を先に行かせた方がこうしたコンペでも通るものなのかと思った。

ありがとうございます。


次は「大きなケヤキと囲い庭」について。
こちらは前者2つの案と完全に発想の基が違っていて、団地建設当時の良い住環境の中にある住戸の特性を肯定しさらに現代に合うように、そしてスターの形状特性を活かす形で調整している。その結果、1フロア3戸であったところを2戸に減らした提案になっている。

面白いと思う点は、1)文字で説明が無いのだけれど、各住戸が通路に接する点がホワイエとなっていて、絵でもガラスで住戸内が外から見えるようになっている点。言葉で書かないにしても他の住人達との関係をちゃんと意識して案にしている。言葉はコンセプトに集中して他はこうして絵が語るようにすると言うのは相当にスキルが高い、と羨ましく思う。2)それと、居室はバスをコアに配置して区切っているけれど、室内にはバスルームに入る以外のドアが全くない。一般的には子供が大きくなったらと言われかねないにしてもとても現代的に思い切りが良くて好ましいと感じる。

ちょっとだけ気になる点は、1)外壁にCLTを貼っていて建物の見た目にも気を使っていて見た目もとても良いけれど、住んでいる人からはあまり見られないかもしれないなと思う事。外から見た時にコンクリートの塊よりはずっと嬉しいしコンセプトにもぴったりなので良いとは思う。2)パイプシャフトが完全に無くなっていて代わりになるものが全く平面図上に描かれていないけれど、それは考えなくても良かったのだろうか?と言う疑問もある。部屋がドア無しであってエアコン等で電気の負荷も大きくなるしオリジナル状態で無かった通信線も必要になる事を考えると実際にはシリアスな問題になるのではないだろうか? と言うか、実施の可能性があるコンペでもそこを考えないで提出して良かったのか、とちょっと驚いた。

ありがとうございます。

後3つの案があるので、次の記事につづく。





2021/10/14

「ALTERNATE REALITIES 2022」面白いコンペ発見

 

Alternate Realities | Architecture Competition - the Charette(クリック)

(※画像はWorld Architecture Community(クリック)からのもの)

何が面白いかと言うと、建築環境を自分の想像力で決めて良い事。重力の存在、場所、その時代の技術レベルその他、要は題名にある通りに「代替現実」の中でデザインする。と言うより代替現実そのものをデザインすると言う要素も含む事になる。

そして主催者からのメッセージはこれ。

Unleash your creativity – Surprise us!

- Be critical – Say something about the world.

- Striking visuals – Capture the imagination of architects and non-architects alike.

- No design is too wild!

創造性を解き放ち我々を驚かせろ!

- 批判的であれ。世界に物申せ。

- 印象的なビジュアルを作れ。建築家もそうでない者でも同等に想像力を掻き立てろ。

- どんなデザインもワイルド過ぎる事はない!


エントリー期限:2021年12月30日まで (早期エントリーあり)

提出期限:2022年1月30日

エントリー料金:USD35、45、55 (エントリーの日による)

賞:名誉のみで賞金はありません。


ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」(2021年9月12日の記事)でも少し触れたのだけれども、自分自身で自分の心に制限を加えていて常識的でつまらない考えに囚われているのではないかと思っている。たぶんそれは間違っていないはずで、誰もが全く想像できないような何かを生み出す事を自分自身で諦めている可能性が高いだろう。

その次の段階へ行けるのだろうか? ねえ、せんたろ~さん。(ここは業務連絡。)

2021/10/13

隈研吾 批判するのは簡単だけれど

 今朝Twitterを見ていたところ、隈研吾氏の「ユゥーアップ-四ツ谷」が話題に上っており、否定的な意見のコメントが長く連なっていた。建築関係者や建築を学ぶ学生のコメントはほとんど無いようだった。

写真を見れば確かにいろいろ言われるのはわかる。

Twitter(クリック)を検索すると出てくる。

けれども、建築の立場からは良い悪いを別として違うレイヤーで見なければならないだろう。良い悪いは結果であって、悪いと判断される結果も十分にあり得る。それはそれでデザイナー本人が受けるべきものだから。なのでそちらはご本人に任せるしかない。

しかしながら、建築で考えるべきはその奥にある意味の方だ。なぜこれが成立すると考えられて実際に施工される事になるのかと言う事だ。

もう1つ最近似たような批判を受けている隈研吾氏の作品がある。
これは日経XTECH(クリック)さんの記事から。
こちらも四谷のマンションに似ていて、木材の裏側に黒っぽい実際のトイレが見える。そこに単に木材がランダムに張り付いているだけに見える。


隈研吾氏は世界中でたくさんの建物をデザインして実際に建っている。それらをよく見ても特定の傾向があるのか、それとも無いのかがわかり難い。共通点は素材の質感を生かす事や特徴的、または伝統的な構造を用いている事位のように見える。理解し難い。

ただ、どれも隈研吾氏1人の頭から出てきたもののはずなので何かあるはずだと考える。そこでもう1つ思うのは、こちらの理解の仕方の方に問題があるのではないかと言う事だ。なぜそう考えたかと言うと、建築の専門家の批判、建築を学んだ人の批判の基になっているのがどれも「モダニズム」だと気付いたからだ。

既にモダニズムは過去のものであって、有名建築家の作品はそれを超えて別の地平に達していると考えるが、形状に対する批評ではやはり未だにモダニズムの占める位置が大きいように見受けられるし、モダニズムを超えて次に行った建築作品もその考えの基がモダニズムではないかな?と思う事が多い。特に「構造と見た目が矛盾しない」事を目指し、それを良しとする傾向はモダニズムから来ているだろう。

そうした目で見ると隈研吾氏の作品はダメに見える。木材や石材の質感が表に現れているがその中身とは無関係にそこにある感が否めない。つまりデコレーションであって表面は中身と全く別に、もしくは表面だけデザインしている。隈研吾氏の作品の中には構造と見た目がリンクしているものもあるので常時そうしているのではない。つまり、どちらでも構わないと考えているのだと想像できる。

その意味では自由なのかも知れない。

自由の意味はモダニズムがその前の時代の建築から自由になったように、隈研吾氏はモダニズムからも、自由になったとも思える。(いや、氏はもともとポストモダンで出てきているのでモダニズム的思考や批判から自由にと考えるべきかだろう。)モダニズムは地上階の構成からその上の階の構成を自由にした。柱から壁を自由にした。いろいろ自由にやって良いとした。そしてポストモダンの時代にはさらに柱は垂直でなくとも良いし壁は平面でなくても構わないとさらに自由度を増した。そうした全てを自由にして良いとの考え方に立てば、表面だけ良いようにデザインして中身は別でも良いよね、と、それも新たに加えられた自由度と言えない事もない。

思えば隈研吾氏の名前が世に広く知れたあのM2も何の脈絡もない複数のデザインが混合したようなポストモダン建築で似たような批判を浴びていた。そう考えればやはりその自由度の高さを示すに過ぎない、もしくは反骨精神を表すに過ぎないのではないだろうか。

そうすると、良い悪いは別として、「この人アホや!」と言うような批判が隈研吾氏への誉め言葉になるのだろう。もしそうだとすれば、氏ほどの自由度は批判する側、そして自分自身にあり得るのだろうか?と見直してみるべきだ。

2021/10/12

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」その2 応募 そして変更

  昨日応募提出したが取り下げて変更し再提出した。

コンセプトの部分のみ変更した。初期案では文章のような形でコンセプトを書かずに絵のみにしていたが、提出後に冷静になって考えると独りよがりだったような気がした。シャワーを浴びてふっと一息と言うところで...そう言う場面ではもう何も考えていないのだけれども、脳みそはなぜか勝手に動いているようで「違うな」と気付いた。

ポイントは、デザインアワードの課題に書かれているここだ。

「デザインは、逆らうことができる、批判することができる、多様性を示すことも知識や理想を壊すこともできる。誰も信じて疑ってこなかった真実にもう一度フォーカスして、モノとデザインの関係を再構築しよう。社会も思想も人も暮らしもうごめいているときに絶対的なものなど何もない。グランドデザインはUNLEARNINGの先にある。」

この部分に応えていると言うのをきちんと文章にして示すべきだと考えた。提案としてはもちろん応えているし、答えの1つを出しているはずだ。けれどもパネルは伝えるためのものなのだ。


提出案は2021年10月16日の締切後に公開します。

2021/10/11

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」その2 応募

  2つ目のアイデアで応募完了。

提出パネルのデザインは本当に難しい。本体のデザインは機能で決まる部分が多いのでプロトタイプとしてシンプルを心がければ良いのだけれど、パネルに関してはそれ以上に見せる必要がある。建築でもこうした工業製品でも図面が入る事が要求され、文字も必要になるのでテンプレートを見本にと言うのがなかなかできない。

KOKUYOデザインアワードの場合はA3縦で最上段左にタイトル、右にコンセプト、中断にデザインと使用シーン、下段に寸法入り図面と決まっている。最初はこれに合いそうなテンプレートを使うのだけれど、すぐにめちゃくちゃになって元のテンプレートとはかけ離れたものになってしまう。こうした物にも癖が出る。良いか悪いかはわからない。


今回の提出品も締切後に公開。

2021/10/09

ノイズ

 街を歩くと種々雑多な音が聞こえる。それは自ら聞きたい音ではないのでノイズとして認識される。人の歩く音などはそう大きくはないが人が多いとそれでもかなりのものになる。カツカツとかパタパタとか、一つ一つが明瞭でなく擬声語にもならない音が集団になって入ってくる。そこにオートバイの通り過ぎる音が時々混じり、後ろから調理の音が聞こえてきたり風が吹いて木が揺れたりする。

それらはどれも自分にとって要らない音なのだけれども、聞いているとなぜか安心するような感覚がある。不思議だ。

これは音ばかりではないかも知れない。例えば木を植える。街はコンクリートやガラスや木材でピシッとした直線、直角、たまには弧で構成されている。人が作るにはそれが簡単だ。木は人が植えても建物のように直接にも直角にも平面にもならない。木は時々葉を落として地面をランダムなマダラ模様にする。どう見ても視覚上のノイズだ。

部屋に小物を置く人がいる。お皿、人形、料理が好きなら調理器具が吊るされるし、模型や花、本など様々な物が置かれる。どれもサイズがピシッと同じではないし、色もそれぞれ。これも言ってみればノイズだろう。

音に話を戻すと、音楽を制作する時に音を作るけれど、その時にもノイズを混ぜている。ギター演奏でも音符の音とは別の弦をこするキュッと言うような音が入る。それがまた良かったりする。

そう思うと、自分でコントロールできないノイズは自分にとって良いと感じるものの1つかも知れない。木材にも木目や色むらがありそれは味があると言って好まれるが、それもノイズだ。建築ではボイドと言う言葉があって、建築は場所を全て機能で埋め尽くさず、ポンっと何も無いポイントを作ったりする。またはできてしまう事を喜んだりもする。ボイドは多くの場合ランダムに配置されたりする。まるでデザインしたのでなくて、できてしまった風にその意図を隠すように。それもある意味ノイズを混ぜていると言えないか?

先日、間取について書いたけれど、間取志向では一般に、可能な限り床面積に無駄を作らないようにする。つまりこちらはノイズを排除する考え方だろう。

何が良いか悪いかと言うつもりは無くて、自分の目指す方向はこのノイズの方だなと思う。ノイズ、これを追求して行くべきなのだろうと考える。

2021/10/08

「KOKUYO DESIGN AWARD 2022」その2

  今日、メールを受信したところ、コクヨさんからメールが入っていた。

[応募の締切間近!] とビックリマーク付きで。


そこで、もう1つアイデアを思いついてしまったので一つ短期間で仕上げてみる事にした。建築には全然関係ないのだけれども、パネル作成の練習のつもりでやってみる。それに設計は建築より機械系の方が仕事では慣れているので。まあどちらにしても同じようなものだ。


今回のアイデアは、ペンやパソコンで使う機器はもうこれはこんな物だと誰もが普通にそう思うほどに一般的で使い方も形状も決まってしまっている。けれども、いや、それでまだ不便な使い方になっているよね、と感じる事もある。あまりに普通過ぎて誰ももうそれを不便だとは言わなくなっている。人間はおかしなもので、不便な仕事、辛い仕事に慣れて毎日のようにしているとそれをする事が自分の誇りのように考えてしまう。毎日「痛」勤しているのだ。

さて、今は具体的にどんなアイデアかはここに書かないが、もう1つだけ重要なポイントを書いておこう。それは、日本の物作りの原点みたいな事で、「小さく作る」と言う事。アメリカの大きな自動車を見ててんとう虫スタイルの車を作ったり、ウォークマンを作ったりしてきたそのやり方だ。そう言うのは忘れずにさらに何度もやってみるべきじゃないかと考えている。

だから今回は何かを小さくしてみる。


これも個人ではなくてTeam OBASUでの参加。そして最終提出パネルは締切後の2021年10月16日にここで公開します。

2021/10/07

ザ・ムーン・キャッチャーと「間取」の間で

  President’s Medals(クリック)

ここは学生作品のコンペサイトで、過去から最近までの受賞作品が山ほど見られる。本当に山ほどある。そしてレベルが高い。世界中の建築を学ぶ学生の作品なのでどうしても良いものが選ばれる。

作品の傾向はバラバラで、実施プロポーザルに近いものから完全インスタレーションまでいろいろ。ほとんど文字が書かれておらず、図面らしきものも無いどちらかと言うと絵画と言って良いものもある。それでも、それでも、それでも、全部建築の中に入る活動のアウトプットなのだ。そして驚く事に、そのどれもが何らかの社会の問題を解決しようとしている点で共通している。あるものは部分的に、そしてあるものは全地球や人類全てに共通する問題を。

ちなみに、2021年9月12日の記事『ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」ピョートル・スミエコーウィッチュ「ザ・ムーン・キャチャー」』(クリック)もPresident's Modelsの受賞作だ。

改めて建築と言うのは幅広くて面白いと感じる。そして、全く平凡な表現をしてしまうが、凄い。


先日、ネットである事を検索していたところ、たまたま誰かに意見を求める掲示板のようなサイトがあった。そこに書かれていた相談は、「家を建てようと考えていて、住宅メーカーが提示した間取に自分たちで手を加えてみたけれどもこの間取で問題無いだろうか?」と言うものだった。質問とともに簡単な平面図が載せられていた。多くの経験者といくらかの設計者がコメントを寄せていて、どれも質問者にとって有用なコメントと思えた。トイレの位置が遠い、台所の収納はそんなに必要ない、通気のためにここに窓を設けた方が良い、リビングが家の中央寄りになっているので暗いだろう、等々。

と、またPresident's Medalsのサイトに視線を戻す。

この間取の問題と、President's Medalsの作品とどう繋がっているのだろう? President's Medalsのインスタレーション的作品まで行かなくても、実際の世の中には多くの建築家がデザインしたちょっと面白い、ちょっと以上に面白い家が多くある。正確にはあるらしい。それらは雑誌や書籍やネットで紹介されるけれども街を歩いていて行き当たる事が少ないから「らしい」で良いと思う。多少実感に欠ける。それらを見るとあの間取とは違った考え方でデザインされているのがわかる。とても個性的だし、物によっては本当に家なのか?と感じる物もある。けれども、それらはちゃんと人が住める家として成立している。個人の欲望を満たし個人の美意識に訴える。そして何らかの生活上の問題を解決してもいる。President's Medalsの作品と間取の中間にいると思われる。


もう1つ別の視点。もし、自分が建てるならどうするだろう?

いや、そこはもちろん、何か心を動かされる建築をデザインするさ、と言いたいところだが、それは本当なのか? 家には窓が必要だよね。では窓はどんな窓でどこに付ける? 通気、換気、そして採光を考える。広い窓の方が気持ち良いよ。南向きだよな。床はそうだな、フローリングで壁の色は明るく白かな? キッチンはリビングに近い場所か、それとも対面にしてダイニング兼用で...と考えて行くとどうだろう? もちろん、そうやってどんどん頭の中をいっぱいにしていけば住宅メーカーさんが持ってきてくれる間取ってものを検討して、ここはちょっと変えたいなと言い出すはずだ。これが普通。

それで、自分の立ち位置をどこに置くかと考える。

あれはもう2ヶ月近く前になるけれど、スターハウスの未来にある暮らしに応募(クリック)した時に感じた事なのだけれど、やはり実施の可能性があるデザインであると実現性を考えないといけないのでどうしても間取のような考え方に偏ってきてしまう。そして提案は1戸分でなくて複数戸になればなおさらで、あまりに個性的にするわけにはいかないと。寝室とバスルームの位置関係、子供のいる家庭が入った場合、和室は必要か?、個々の部屋は狭くても部屋数は多めでないといけないのでは?

それをどんどん考えて行くとオリジナルの設計者が考えて採用されたように標準設計戻ってしまう。そもそもそれが問題だったにも関わらず。


この問題、考えれば考えるほど多岐に渡る議論が必要だ。けれどもこれを議論のネタにするつもりはない。どちらかと、言うと自分が考える中でいくつかの立場を行き来する事ができて、本当に自分にとって(他人の場合もある)何が良いか、どのレイヤーの自由度を優先するかを特定の立場に偏らずにいて考えられるようにしたい。

窓? 自分にとってこの窓必要? 床って平らな方が良いのか? トイレにドア付ける? 玄関は要らないか? 車はベッドの横に停めようか?

自由を求めるには自分も自由な場所に居られないといけないと思うが、自分自身を自分で縛ってしまっている不自由さの方をより多く感じてしまう。普通、建築をやっている人はそう言う、自分自身の事など言わないのだろうが。

2021/10/05

「野生のガラス」提出パネル その2

 

2つめの作品の提出をした。今回は起案から提出までに3日間だけ。作り物はあるが実施設計ではないので図面無しで済ませた。(前回提出したものは本当にガラスだけなので作り物は無しだった。)

上の絵がJamboard上の検討画面。本当はもっと絵があったが消しながらやったので残っているものは少ない。と言ってもラフスケッチからあまり変更が無いので初期パネルを残す意味も無いが。

このコンペ、一応建築のコンペなのだからもう少し建築的な感じの提案にしたらどうか?と考えないでもないが、何しろお題が「野生のガラス」と言うようなどうしても禅問答なのでそれに対応する案を出して良い...と言うよりは出すべきなのじゃないかと思う。だいたい巨匠と言われる建築家のスケッチもそれ単体で見たら何だこりゃ!的なものなわけだし。それに比べればこれでも「確かに作ろうと思えば作れるよね」レベルだと思うからかなりマシのはず。寸法は書いてないけれども。


寸法は書かないけれども、建築として何をやっているかと言うと、それは「社会問題の解決への提案」だ。建物を作るだけが建築の仕事ではないと考えるので。

我々は使用し終わったガラス(今回は「コントロールからこぼれ落ちるガラス」)を廃棄と言う名目で見えない場所に「隠している」。そしてそれ以上その物の事を考えず、忘れてしまう事で生活を成り立たせている。忘れられたその物は死体としてずっとそこに置かれたままとなる。その理由は、最近はリサイクルや持続可能な社会と言われるが、「それするにはお金がかかるんだよ」と言う各論によってさらに放って置かれるかもしれない。つまり、資本主義の論理にはなかなか抗えないのだ。

と言うわけで、やる事は簡単だ。活きられる場所に置いてやろう、と言う事。

とは言え、それはどこだ?と考えなければいけない。そう、誰かの邪魔になってはいけないわけだし。そこで思いついたのは、頭の上。人が歩く上の空間はほとんど誰も使っていない。上を見れば空が見える。そこに置こう。そうすれば完璧ではないが強い雨は弱まり、強い太陽光は柔らかになるだろう。それで彼らはずっと生きていける。


提出日は2021年10月3日。この記事は提出期限の後に予約投稿で公開。

「野生のガラス」提出パネル その1

 

スタディ08でどうも複雑すぎてわかり難いと感じたので、スタディ09以降全く変えてみた。1枚で短編小説を読んだ感じになるようにしたかった。最上段にセリフを1つ入れてそれが全てを説明している風になっている。(そんな小さな文字を読んでもらえるか?と言う疑問はある。)

細かい調整をしながら中央奥に人物を入れ、手前の自分との関係を強調している。やはり空間から何かを感じても最終的には人と人の関係に影響するものだろうと考えたから。
以下が最終提出案。
これが建築コンペの提出品なの?と多くの人は思うのではないだろうか?
それで良いのです。

(この投稿はコンペの締め切り日を過ぎた時点で公開されるように予約投稿しています。)



2021/10/04

大富豪による巨大人工都市計画で理想郷の夢を見る

 大富豪マーク・ローリー氏、総工費4000億ドルの巨大都市建設計画を発表 - CNN (クリック)

先日(2021年9月28日)に「出しゃばり過ぎない「塔」の提案に感銘」と言う記事を書いたが、ちょうど「大富豪マーク・ローリー氏の巨大都市建設計画」で本当に都市を作る計画に関する記事が出てきてこちらはどうなのか?と気になって読んでみた。

都市の名称は「テローサ」。記事で真っ先に注目されているのはやはり技術の側面だ。「環境に配慮した建築、持続可能なエネルギー生産、さらに渇水にも耐えうるという水道システム」、「超高層ビル、エクイティズムタワーは、高架貯水槽、エアロポニックス(空中栽培)農園、生産した電気の共有・分配が可能な太陽光発電屋根が装備され、レイアウトプランは「自宅から15分以内で職場、学校、各種公共施設に行ける」となっている。

そしてその技術よりも特に注目すべきポイントは、「透明性のある管理・運営と『社会の新しいモデル』。住民らが意思決定や予算編成に参加できる。」、「世界で最もオープンで、最も公正で、最も包括的な都市」と言うところ。

なぜこの点が技術よりも注目すべき点になっているかと言うと、マーク・ローリー氏の真の目的は「資本主義の重大な欠陥を是正し、より公平で持続可能な未来を築く」事となっているからだ。もし本当に可能であれば、まさに人間としての理想郷に近いものができるかもしれない。

もし「できれば」だけれども。


短い記事の文章から判断してしまっては良くないが、第一段階で5万人規模の都市、40年後に500万人に達する巨大な都市になるとして、そこに住み着く住民の多くがオープンで公正な都市の何らかの意思決定に本当に参加するものだろうか?

どうしてそうした懸念が生じるかと言うと、そもそも都市とは何かと言うところから来る。都市と言うと一般に多くの先進機能が集中しそれを目当てに多くの人が流入する場所である。平たく言えばカッコイイ場所だ。だから多種多様な人々がそこで出会い、そしてさらに何か素晴らしいものが生み出される。それは一面として正しい。けれども、それとは逆の面の方が実は大きいと考える。つまり、人が集まってその場所を運営する事によって何もしない、何も考えないでそこに居る人間が相当に多くなると言う事だ。なぜならば、便利だから。所得から一定割合の税金を支払う事ができ、ある程度の家賃や公共料金と生きるために必要なコストを負担できさえすれば郊外や農村に住むよりは相当に便利だ。ただそこに生きるためだけならば何も積極性は要らない。街が便利であればあるほど自分自身で考える必要すら無くなる。それが都市であると言うのも別の一面として正しいはずだ。

500万人が意思決定に参加するとしたら、それは本当に革命的であると思われる。もちろん全く方法が無いとは思わないが、それを実現するには既に言われているスマートシティの構想を相当に超えた何かが必要になると考える。


追ってそうした事に関する報道や資料が出てくる事を切に望みます。

建築におけるおとぎ話、SF、空想と実装の間に

  (仮称)ふくしま農業人材育成センター施設設計プロポで、辺見設計・C+A共同企業体が最優秀者に選定。技術提案書も公開(クリック)


これは個人で参加できないコンペのプロポーザルとその結果。5者の提案書とその講評が全てpdfで公開されていたので読ませていただいた。ちょっと考えさせられるものがある。

まず上から提案書を1つづつ見ていった。

最優秀となった辺見設計・C+Aさんの提案タイトルは「先人の開拓スピリットを未来へつなぎ、新時代のリーダーを生み出すクリエイティブ・プラットフォーム」、再生建築研究所・八光建設さんのタイトルは「農業の今と未来をつなぐ校舎--おおらかな風景とあたらしい文化をつなぐ小さな小屋--」このあたり、志がとても高いのがわかる。それ以外はもう少し現実的なタイトルになっているけれども、内容を読ませていただくと同じようにやはり志はとても高い。どれも素晴らしい提案になっている。

提案課題は5つ。

  • 県農業の持続的発展に向けた先端技術(スマート農業)を学べる施設
  • 良好な教育・研修環境の中で学生や研修生が快適に過ごせる施設
  • 学生等の自らの学びと農業者、指導者等と多様な交流を促す施設
  • 伝統と革新、地域に配慮した意匠、県産材の積極的な活用とエネルギー性能が高く持続可能性に優れた施設
  • それ以外に提案者が特に重要と考える提案
詳細資料はこちらから。

なぜこの公募が行われたかと言うと、老朽化した施設の更新とアップデートされた研修に必要な施設を作りたいから。なぜそれをするかと言うと、教育研修体制と内容を強化する事と学校の運営機能を強化したいから。さらにその上位の目的は地域の農業経営者でありリーダー人材の不足を補いたいから。具体的にはIT技術を応用したスマート農業に明るい人材を輩出する事。こちらももっともな内容となっている。公募を募るにあたってもちろん基本要件はきちっと決められている。

考えさせられるものがあると言ったのは次の点。
提案するに当たって、公募資料の中に無いものが多く混じっている。それは例えば、スピリット、自由で多様、交流を促す、何かと何かを有機的につなぐ、学生が能動的または自主的にと言うような事。これはそれぞれの提案者のノウハウであるとも考えられるけれど、単に修飾にも見える。実際にそこに働く教師や学生にリサーチしてと言うのもあまり考えられないし、要件の中では何をやるは書かれて行ってもどのようにとは書かれていない。そうしたところからおとぎ話、SF、空想を重ねて実施提案に被せて行くのだろうと思われる。

実施しないコンペや学生作品であればこうした空想は常にあり、逆に言うとそれが無ければいけないのだけれども、実施となると言葉にして表しにくいポイントを提案者が大幅に補う作業が必要なのだろう。

そしてモヤモヤしてしまうのは、実際の教師や学生はどのように彼らの中で交流と言うのをしたがるものなのだろうか?教師は交流より一方的に知識を頒布するものとして教育を考えていたりはしないだろうか?学生は想定よりも積極性に欠けていて教えられた事を飲み込む作業のみに焦点を当てていると言う事はないだろうか?そうしたネガティブな側面を建築は別のより良い方向へ向ける手助けはできるのだろうか?そもそもそうした提案自体が必要なのだろうか?と言った事だ。こうした事は提示されている書類からはなかなか読み取れない。


ただ、それとは別にもう1つ思うのは、もし提案者にそうした、つまりおとぎ話を紡ぎ出すマインドが全く無いとしたら、きっとそれでも建築と言うものは出来るのだろうけれど、出来た途端にその建築は劣化を始めてしまい、ただの中古建築になって行くのではないかと想像できる事。作られた時点が最も価値があり、5年、10年と経過するうちにどんどんと価値を落としてしまうただの建物になってしまうのではないかな?、とそんな風にも考える。これは全くわからない事だけれど、

いずれにせよ、参考になりました。ありがとうございます。

2021/10/01

「野生のガラス」もう1つ提出しようか?

  「野生のガラス」(クリック)コンペの応募締め切りが10月4日となっているが、突然、もう1案出したくなった。時間が無いので急ぐ。幸いにも明日、明後日は土日で休暇だ。時間がある。このコンペは実施コンペではないので詳細設計は無くて構わないはず。急げばできるかもしれない。


人の管理から零れ落ちたガラスたちと言えば廃棄される色ガラス。リサイクルされるようになってはきているが未だに廃棄処分が多い。分別が難しいからだ。そして廃棄されて地面の上に置かれているとそのままずっとそこにあり、腐らない、風化しない、土には返らないまま死体としてそこにずっとある。

アイデアは単純だ。置き場所を変えるだけだ。あまり使われる事のないどこかにこれを移動してやるだけで生き返ると言う事はないだろうか?と言うもの。

あった、あった、その場所が。

これ以後は提出できたら公開予定。急ごう。

「スモールハウスコンペティション2021- bigHOUSE」

  スモールハウスコンペティション2021 応募ページ(クリック)


コンテナハウスの商品化を前提としたコンペだそうです。

(以下の概要は間違いがあるかもしれないので公式ページで確認してください。)

募集内容

  • 木製コンテナデザイン(コンセプト、想定ターゲット含)
  • 最大サイズ:間口2,350mm × 奥行5,460mm × 高さ2,800mm
  • ただし、可動を前提とし基礎に連結しない。

提出物

  • A3用紙(片面1枚、横向き)最大5枚程度(3~5MB以内のpdfでも可)
  • 図面、パース、ドローイング、CG、模型写真など
  • コンセプトや作品の特徴、アピールポイントは文章にてまとめる

締切:2021年10月31日 (日)

  • 【一次審査】2021年11月10日(水)
  • 【二次審査】11月19日(金)、オンラインプレゼンテーション
  • 【結果発表】11月30日(火)、公式ホームページにて

  • 最優秀賞 (1点):賞金30万円
  • 優秀賞  (1点):賞金20万円
  • 入選   (3点):学生部門・プロ部門・アマ部門 各賞金15万円
  • 社長賞  (1点):賞金10万円
  • 工場長賞 (1点):賞金10万円
  • 営業部長賞(1点):賞金10万円
※プロ部門、アマ部門、学生部門に分かれているそうです。Webのフォームでエントリーすると3つのうちのどれかに✓を入れるようになっています。最優秀賞金が30万円と高くないですが、賞が多くあるので他のコンペより入賞し易いかもしれません。


以前からコンテナハウスやトレーラーハウスには興味があった。その理由は、1)価格が普通に家を建てるほど高くない。 2)日本にいる母の家が(普通は実家と言うらしいが)地震、火山爆発を懸念しなければならない場所に建っているので、普通の家では避難できない。移動可能であればできる可能性が残されている事と、移動できなかったとしても地面に連結されておらず自立していれば揺れても地震で潰れる可能性が低いと考えられるため。3)また、家族の人数が夫婦2人のみなので部屋数も面積もあまり多くを必要としないため。

こう言うのは軽自動車と同じで限られた面積と体積を可能な限り広くとろうと考えるのでどうしてもデザイン的に最大限に広げた箱をイメージしてしまう。そうなるともちろん誰がどうデザインしてもあまり違わなくなってしまいそうだ。そんな中、何かやって面白い事があるだろうか?どうかなあ?日本人はスモールハウスが得意な人が多そうだから上手い人も多いだろう。