以下の話は建築と関係あるような、無いような話。
最近は年号「昭和」と言う単語の後ろに「レトロ」と言う言葉が付く。昭和レトロ。
でも、昭和は長くてレトロと言われるその内容を見ると多岐にわたたる。そして今に持って来られるアイコンの多くはマットな感じでラップされていて、大正レトロと区別が付かないような印象になっている。
昭和後期世代から見ると昭和って、どんよりした時代だったけれど、もっと艶があったんじゃないかな?と思いもする。それにいろいろな物が、今にしてみれば、現在ある物たちの「種子」だったのかなと言う気もする。いつの日か、今の簡易なレトロ感を脱して再評価される時が来るのだろうか?
それで、もう1つ思うのは、昭和の物ってゴミだと言う事。。なぜなら、昭和の時代に作られた物はその時良くても「使って捨てる物」と言うのが大前提だったから。電気製品はもちろん、日常の生活で使うあらゆる物は全て数年ののちにゴミになる。何と、家もゴミだ。当時数千万円で建てた家も5年かそこらで家自体の価値はゼロとされた。土地の値段が上昇するからそれでも良かったのだ。
今となってはそれもおかしな話だなと考えられている。数千万円投資してローンは子に引き継がれるが家の価値は無い。売ろうにも投資額と比べれば二束三文の価格で処分してもらうような事になっている。そしてもう古いし時代に合わないし壊そうか?となる。そこに新しい家が建てられるならね、と言うのはあるにしても。
新しい家が建てられるならね?だって?無理無理。なら売っちゃう?場所が良ければね。うーん、それも無理。でも壊さないと朽ち果てるだけだよなあ。自分は今後そこに長く住みたいとは思わないし...
ちょっと考えて...
壊してしまうのは簡単でもそうすると絶対戻って来ないわけで、そこをちょっと考えないといけないなと思わないでもない。
昭和の事
自分の中の昭和ってのは70年代から80年代だった。それ以前は子供過ぎたし、昭和は80年代で終わったからその約20年間だ。
あの時代がどんなだったかと言うと、一言で言えば全体がスモークの中にあって、そこから先が全く見えなかった。そんな印象がある。それは良い意味でも悪い意味でも。自分には歳上の兄弟がいなかったから自分に入って来る情報はほぼテレビだけだった。親は特に子供の自分に何か社会の事を説明するとかそう言うのは無かったし、労働者階級の人間だからきっと出来なかったのだと思う。だからテレビしか無かった。自分で情報を集められる年代になってラジオが手に入ったけれど、自分を形成するのに役立つ情報は無かった気がする。
だからただ、雰囲気だけ感じていて、何か騒がしくなっているとかお祭り騒ぎとか感情的に何かを感じているに過ぎなかった。だから具体的にこれからどうなるでもないし、どうすれば良いと言う事も考えられなかった。要はボーっとして生きていた。
ボーっとしていたけれども、自分より上の世代は実は自分達世代よりずっとずっと忙しかったのだと言うのはかなり後になって知った。自分が知っているのはその忙しい時代の残火のような事件だけ。浅間山荘とかそんなものだけ。しかも意味なんてほとんどわかっていなかった。
1970年には大阪万博があってお祭り騒ぎだったけれど、それがどうして凄いのかもよくわからなかった。大学の時に少し上の人があの万博があった事で「これからの時代は科学の力で何でもできる」と明るい未来を感じたと言っていて、へぇと思ってちょっと驚いた。
だから自分にとっては明るいかも知れないし、陰惨かも知れない。よくわからないが、その後どうなるのか全く想像がつかない、そんな風にしか感じられなかった。つまり、人生なんて考える事も、そんな言葉を使う事もできない無能なただの動物として生きていた。
そう言う事について誰かと話すと言うアイデアもないし、誰かに聞けるでもない。そもそも何をどう聞いて良いのかすらわからないのだから仕方ない。そんな時間の中で自分がどうしていたかと言うと、何となく一人で本を読んでいた。時間潰しでしか無いが。
そんな時代を今、懐かしんだりレトロと言って面白がるってのが自分にはよくわからない。映画の「三丁目の夕日」なんかはそれよりずっと前で同じ昭和でも自分にとっては江戸時代や平安時代と変わらない歴史の教科書の中のものだ。その後の実際に自分が生きていた昭和っていったい何だと思い返しても何らかのアイコンで象徴されるわかり易いものが何も思い浮かばない。
方向性が無くてめちゃくちゃだった事だけは言える気がする。めちゃくちゃと言うのはイデオロギー的に方向性が決まっているでもなく、皆して好き勝手やって何とか全体としてカッコついてるような、そうでないような。でも生きる中ではあまり不自由は無くて、とりあえず豊かかもと言う感じ。
話は戻って...
この昭和の家、自分の知る70~80年代のエレメントを使ってやり直してみたらどうだろうとちょっと考えている。昭和の時代、ちゃんとその時代を呼吸していなかった気がするのと、もし自分がその頃にもう少し何かできたなら、自分は家をどうしただろうかと思う。もちろんもうその後の時代を知ってしまった後なのだけれども、もう少しマシな昭和にできて、マシな家にできて、ゴミにしないで人が住み続けられる昭和の家に変えられないだろうか、と。
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