さて、提案のコンセプトだけれども、絵の中の右上の部分がその肝になるポイントとなった。「コモンを有効に使うためのインテリア」だ。
インテリアを提案してコモン(共有部分)とどう関係がある、または出るのかと思われるだろうけれども、これは前の記事で書いた住居ユニットの「完璧性」を壊してしまう事を意味する。個別居住スペースを半分程度コモンと同じものにしてしまう事。そうして自分が使うべき場所に他人が居る事があり、それを許容する。それは「良い」事なのかそうでない事なのかはわからない。その時々の事情による。絶対に素晴らしいとは言えない。
けれども、一つ信じられる事として、人々はそこに何のルールが予め設定されていなくても自らの思考の中で自分たちにとって快適なルールを作る事ができると言う事だ。日本では多くの人が窓口で何かを買う場合に床に線が引かれているのを見てそこに並べば良いと考える。別の国にはその線は無いが同じようなシチュエーションは発生する。小さな1つの窓口に人が群がって統制が取れておらずマナーも規律も無いと我々は感じる。が、そうした人たちでも買いたい物を買う事ができる。そこに何もルールは無いと言えるだろうか? 可視化できないルールやマナーや規律がそこに発生していたが、我々が気付けないだけだったと言う事はないだろうか?
そこで考えるアイデアはこうだ。
これまでの住宅のユニットはコモン側が出入口となっていて、そこはドアが閉じればそれで終わり。中に入れば住人は窓側を明として暮らし、コモン側は暗となる。つまりコモンとはドアを閉じた時点で関係は切れる。一時的な「引きこもり」になる。明日の朝までさようなら。起こさないでね。
これを明暗逆にする。コモン側を向いて生活するようにコモン側を常に開いた状態に近付けてしまう。(もちろん隠れるところはある。寝る場所や風呂だ。) 常にいる場所は喫茶店の席のように常に誰かから見られる可能性がある。それは快適か? わからない。
でも、利点もあるかもしれない。
今はSNS等で自らのプライベートをある程度公開して、それをもって自分のアイコンにする時代だ。Youtubeで自分の家や行動や家族や猫を公開してそこに他人と自分が価値を見出す。これまでは名の知れた会社に勤めている事や良い学校や高級な持ち物がそれをしていたが、今は違う。ゴミ屋敷になっている親の家でもそれができる。
面白い時代だ。
だから住み方もそれを同じで個人を象徴するアイコンになる可能性がある。やってみる価値は多いにあるはず。今赤羽台に残っているスターハウスは45戸のみ。であれば広く日本の全員にアピールする提案でなくとも良い。最大45戸に入る45家族が最大値となるのだから。
(この記事はリアルタイムでなく後日投稿しています。)
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